その中でも、最も栄えたのが食産業です。もともと江戸時代初期まで、武士も庶民も外食という習慣は存在しませんでした。食事とは家でするものだったのです。当然、江戸の町にも食材屋はあっても飲食店というものはありませんでした。飲食店ができたきっかけは、前述した明暦の大火以降と言われます。
明暦の大火で江戸の町は3分の2が焼失、10万人以上の死者を出しました。その復旧作業のために、諸国から職人が集結しましたが、そのほとんどはソロの男性です。彼らは肉体労働者であり、食欲も旺盛です。さりとて、自炊する能力もありません。そんな彼らの需要と胃袋を満たすために、おふくろの味としての惣菜を売る「煮売り屋」ができました。この「煮売り屋」は大繁盛し、やがて「居酒屋」へと発展していきます。
居酒屋はもともと酒屋だった
居酒屋は当初、酒を売る酒屋でした。酒屋で酒を買ったせっかちな男たちが、そのまま店先で飲み始めたことから、つまみのサービスが始まり、そこから「酒屋に居たまま飲む」という意味の居酒屋業態が生まれたのです。今でいえば、コンビニで缶ビールと惣菜を買って、そのままイートインで食するようなものでしょう。当時から、江戸のソロ男たちはソロ飯スタイルをとっていたのです。
ちなみに、当時の居酒屋の店員はほとんど男性で、客もまたほぼ男性。グループ客だけではなく、1人で酒を飲むソロ酒客も多かったようです。料金は、安い酒ならば1合8文(200円)程度から飲めたので非常にリーズナブルです。現代、下町界隈には1000円でベロベロに酔っぱらえるまで飲める立ち飲み屋を「センベロ」と言いますが、当時の居酒屋もそうした庶民の味方でした。
当時、長屋に住むソロ男たちは、自炊はほぼしないため、そもそも鍋や調味料などの料理に必要な道具を持っていませんでした。それも火事の多かった江戸ならではのリスク回避です。モノを所有したとしても、火事で焼けたら終わりだからです。
とはいえ、彼らが外食だけだったわけではない。家で米を炊くこともありました。おかずは煮売り屋から惣菜を買ってきたり、「棒手振り(ぼてふり)」という行商から買ったりしていました。
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