当時は、農作業のほかに、織物や糸紡ぎなど女性が活躍する仕事が増加しました。それにより、貴重な労働力としての女性の晩婚化が進みます。都市への人口流入もまた未婚化の原因ともなりました。誤解があるのですが、明治初期まで日本の庶民は皆婚ではありません。晩婚化・未婚化・人口の都市集中……なんだか今の日本と、とてもよく似ています。
未婚も多ければ離婚が多いという点も似ています。江戸期の離婚率の高さについてはこちらの記事(『「夫婦は一生添うべし」が当然ではない理由』)に書きましたが、あまりの離婚の多さに幕府が離縁禁止令を出すほどでした。江戸時代はこの享保年間以降、幕末まで人口はほとんど増えない人口静止状態になります。
人口が急増したのは元禄バブル
江戸幕府開始からと明治維新以降の日本の人口動態をスタート時点100として比較したグラフをご覧ください。
江戸時代も1657年の明暦の大火を契機として人口の急激な増加が始まっています。この大火事は幕府開設から54年後でした。くしくも、1923年に起きた関東大震災も明治元年から55年後です。
江戸時代に人口が最も急上昇したのは、徳川綱吉の頃で、これは「元禄バブル」と言われる好景気でした。それは現代にすれば戦後の高度経済成長期と合致します。元禄バブル後、長きにわたって続いたデフレもまた、今の経済に通じるものがあります。
2015年には、日本の人口は減少傾向になりましたが、江戸時代もまた享保年間あたりで人口停滞期を迎えました。江戸では男が女の2倍人口があり、男余り現象であったことも今とそっくりです(現在、未婚男女人口差は300万人の男余り)。
それだけではありません。江戸時代に花咲いた市場の大半は、享保から天保にかけての時代に集中して誕生しています。現代のアニメや漫画に当たる「浮世絵」や「黄表紙」などの出版市場はまさにそうで、シェアリングエコノミーもアイドル商法ですら江戸時代から存在していました(『独身が5割超、江戸男子に学ぶシングルライフ』参照)。
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