日本人男性が「ブルーマン」を成功に導いたワケ

単身渡米、親からも借金をして資金を集めた

日本とアメリカでは、プロデューサーの定義が違う。日本でのプロデューサーは、テレビ局など会社や組織に所属し、制作をするうえでトップに立つ人という意味合いが強い。

しかしアメリカのプロデューサーは、作品を作るだけでなく、多額の資金集めをし、予算表を組んでプロジェクトを進め、弁護士や会計士、広告会社やマーケティング会社とのやりとりもすべて行う。1人で何役もこなさなければならない。

つまり、クリエーターとしてのスキルだけでなく、ビジネスマンとしてのスキルも同時に持ち合わせる必要があるのだ。

「特に苦労したのは、資金集めでした。当時ブルーマンは無名のパフォーマー。さらに彼らのショーはセリフもなく、口から青いペンキを吐いたり、暴れて物を壊したり……。今までにないタイプのショーだったので、内容を説明してもその価値をなかなか理解してもらえませんでした。さまざまな企業や投資家に提案しに行っても、ことごとくNGでしたし、中には『Who are you?』と門前払いされることなんてしょっちゅう。『こんなショー、うけるわけがない!』と罵倒する人までいました」

それでも出口さんは決して諦めなかった。ニューヨークの企業や投資家だけでなく、日本に住む友人知人にも電話をして交渉していったのだ。

「あの頃は、1ドル150円。しかも国際電話も高くて、1分1~2ドルかかりました。でも僕は絶対諦めたくなかったので、いかにブルーマンがすばらしいパフォーマーなのか説き続けました。すると彼らにとっては寄付感覚だったんでしょうね、『そんなにやりたいなら応援するよ』と1人、また1人と支援者が増えていきました」

そんな努力が実を結び、幕が開く直前に何とか資金が集まり、1991年11月にショーを開催できることに。さらに、ブルーマンのショーが始まる4日前には、ロッタリー(抽選)でアメリカ永住権が当たったというから驚きだ。もしかしたらそれは、「日本に帰らず、アメリカで頑張りなさい」という神様からの応援のメッセージだったのかもしれない。

客足が伸びず、資金が底を尽きかけ…

しかし、やっとの思いでブルーマンのショーができるようになったものの、ニューヨークの劇評は好意的なものばかりではなかった。

「今までにない新しいエンターテインメントだったこともあり、劇評家も何をどう評価していいかわからなかったんでしょうね。ニューヨークタイムズも小さなスペースにショーの簡単な説明を書くだけでしたし、中にはボロクソに書くメディアもありました」

チケットもギリギリまで安くし販売するも、なかなか客足は伸びなかった。そして1カ月も経たないうちに資金も底を尽いて、年末には公演を締めるようジェネラル・マネジャーに言い渡された。

「その時のことは、今でも覚えています。メンバー全員を集めて、神妙な顔をしてミーティングをしました。僕は諦めたくなかったので、状況がかなり厳しいと伝えて、ブルーマンたちにしばらく給料を下げてもらい、少しでも続けようと交渉しました。そして再び、資金集めに駆けずり回ることになりました」

しかし投資家たちは「すでに出資したのだから、これ以上出せない!」と断る人ばかりだった。

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