その制作会社は3年勤めて退職した。その頃、ベンチャー企業ブームがやってきた。そこで転職したベンチャー企業は、当初示された労働条件と実際の状況がまったく違った。みなし残業が60時間ついており、年収は300万円だった。
「制作会社の勤務時代は港区で家賃10万円のところに住んでいましたが、この収入では到底無理なので、都内でもあまり治安のよくない地域の家賃4万円のアパートに引っ越しました。前の住人が出た後の掃除もしていなかったので、まず掃除をするところから始めて……。
夜逃げした気分になりましたね……。クーラーもついていないし、木造のボロアパートなので冬はめちゃくちゃ寒い。だから、毎年冬になると1カ月に1回ポリタンクを持ってガソリンスタンドに灯油を買いに行って、灯油ストーブを使っていました。食事も切り詰めて生活し、遊びにも行きませんでした。ただ、幸いなことに制作会社時代の貯金はあって株を持ってたんです。それを全部解約して現金化したら300万円ほどになりました」
このベンチャー企業も3年で退職。しかし、ここまで劣悪な環境を体験したからにはもう怖いものはないという心境にきていた。そして28歳のとき、起業に踏み出した。周りからは反対されたが、起業に成功している先輩の話を聞きに行くと意外となんとかなりそうだと感じた。
「意識の高いことを言って申し訳ありませんが」と前置きをしたうえで敬之さんは「このとき、自分に向けての追い風が吹いてる」と感じたと語った。誰かに何か特別なことを言われたり、起業のきっかけがあったりしたわけではなく、ほぼ勘で「起業するなら今だ!」と思ったと言う。
当初は赤字だったが、ようやく安定した生活に
「今、社員は自分を含めると6人です。最初の頃は赤字で不安だらけでした。いつまた、家賃4万円の生活に戻るのかヒヤヒヤしていました。制作会社時代に作ったクレジットカードで会社の経費を切ってリボ払いにするという、ちょっと危ない手法を取ったこともあります。ようやく今、危ない時期を乗り越えて落ち着いてきました。生活水準は特別上がっていなくて、7万5000円の部屋に住んでいます。とにかく仕事が趣味のようになっていて、休みはほぼないです」
今後の目標はさらに組織を大きくして、ロックフェラー財団のようなものを作ることだという。会社の中である程度稼げるからやっていることと、将来のためにチャレンジしたいことの領域を分ける、安定と冒険の組織体を作りたいそうだ。
今どき、家賃4万円の部屋に住んで辛酸をなめる若者はそういない。また、一度どん底を味わった者は強い。ただ、休みがほぼないという点に引っかかった。若くして脳梗塞や脳系の疾患を抱えてしまう人の共痛点が過労だからだ。筆者としては、リフレッシュを意識しつつ、前向きな経営者として歩んでいってもらいたいと思った。
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