10年ぶりのベスト8に進出した夏が終わり、常総学院に待っていたのは厳しい秋だった。翌年春のセンバツ出場をかけた茨城大会、そして関東大会は、夏の甲子園からわずか数カ月後に行われる。最後の夏を勝てば勝つほど、1、2年生にとって秋の大会に臨む準備期間は短くなる。
この秋、佐々木には大きな目標があった。翌春のセンバツ出場を果たせば、茨城県勢では史上初めて4季連続で甲子園の土を踏むことになる。前任者の木内も成し遂げたことのない偉業だった。
新チームが始動したのは、9月末に行われた国体の後。準備期間はわずかで、10月の関東大会では初戦敗退に終わった。事実上、センバツへの道が閉ざされた。
「こんなに打てない打線は、コーチ時代も見たことがないという状態だった。みんな、甲子園の疲れが残っていた。約20日間、取材やら張りつめた雰囲気の中で過ごすから、どうしても疲れがたまる。一方、私は『4季連続出場へ、短期間でチームを作らなければ』と焦りがあった。選手の体調が第一と考えるべきだった。監督3年目で、またひとつ勉強になった」
オフシーズンをどう過ごすか
春の甲子園出場は絶望的だが、最後の夏はすぐにやって来る。そのために大切なのが、冬の過ごし方だ。
木内監督時代は、紅白戦に多くの時間を充てた。選手は実戦を繰り返すことで監督の考えを察知できるようになり、そうして緻密な常総野球を植え付けた。
だが、パワーやスピードが求められる現代野球では、冬場に筋力アップすることが不可欠と佐々木は考える。そうして伸びたのが内田だった。「半年間の練習次第で内田のように化ける可能性がある」と佐々木はもくろみ、特注した1.1kgの金属バットを振らせてパワーアップさせようとしている。
同時に、常総らしさも引き継いでいかなければならない。佐々木がトレーナーの指導を冬限定にする理由は、そこにある。
「オフシーズンとシーズン中を区別している。シーズン中はなるべく実戦練習を多くやらせたい。筋力トレーニングと練習を多くしすぎると、ケガにつながったり、試合で十分なパフォーマンスを出せない気がする。だから、シーズン中は筋トレを少なめにしている」
いくら強豪とはいえ、負ける試合はある。その機会に何を得るのか。木内は負けるたび、悔しさをはね返そうと研究を繰り返した。その姿を見ていた佐々木も同じように、チームを少しでも強くするべく頭を悩ませている。
おそらく、佐々木が常総学院の監督を続けるかぎり、木内の影は永遠につきまとうだろう。
「あれだけの名声を集めた監督と比べられるだけで、ありがたい。木内監督は自分が理想と思い描いていた姿。かぶるのは自然なこと。『木内監督を超える』ではなく、『木内監督より嫌らしい野球をやる』と相手に思わせたい」
偉大な初代を継ぐのは、とてつもないプレッシャーがあるだろう。同時に、そのすごさを間近で勉強できた二代目には、大きなアドバンテージもある。
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