原信夫とシャープス&フラッツは、一般には紅白歌合戦の紅組のバンドとしてよく知られています。1963年から75年まで紅白に出演してました。ですが基本はあくまでもジャズバンドです。
テレビ全盛時代には歌謡曲のバックバンドもしていましたが、78年ごろにはテレビ局にたんかを切って辞めてしまいました。リハーサルの歌合わせもきちんとできないようなアイドルと一緒にやるのが嫌になってしまったからです。
それで困ったのは収入です。それまで実入りがよかったのに、途端にガクッと減った。年の暮れには金策で困ったなんてこともあったけど、精神的にはすごく楽になった。テレビの仕事を辞めてよかったと思いましたよ。僕はジャズをやりたい、とずっと思ってましたから。
ジャズは人生そのもの
日本にもたくさんのジャズバンドがありましたが、僕はほかと比べたことはありません。仲良くはしましたが、日本のバンドのコンサートは聴きに行ったことがない。
僕には信念があって、日本のジャズバンドはたとえ先輩であってもまねをしないと決めていた。参考にしたのはアメリカの四つのバンド、デューク・エリントン、カウント・ベイシー、ウディ・ハーマン、スタン・ケントンだけ。スタイルの違ったこの四つからは、いいところだけを吸収してきた。いつか追い越したいと思ってやってきました。
特にカウント・ベイシーは僕にとって神様のようなミュージシャンです。63年、彼の初来日時、新宿の厚生年金会館で共演したときには緊張してしまってね、カチンコチンになってしまった。笑みをつくろうにも唇が歯について、うまくできない(笑)。でもすぐに打ち解けて、ずいぶん親しくさせてもらいました。
シャープスは練習が厳しいと言われることがあります。ジャズの演奏は瞬間、瞬間が勝負。定番の曲でも奏法により変化します。それがジャズの楽しさでもある。譜面に書いてない部分をどう表現するか腕の見せどころです。譜面を完璧にマスターしたうえで、演奏者のオリジナルを入れる。それができるようになるには練習しかありません。譜面を徹底的に練習して、譜面から抜け出すということでしょう。そして本番では、お客さんの反応を見ながら、もっと楽しんでもらえるような演奏をするのです。
自分が好きなジャズをうまく演奏したい--。それだけを考えてずっとやり続けてきてきた。僕にとってジャズは人生そのものです。
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