中学入学後は受験の疲れが抜けずに「屍のようになっていた」という拓真君。だが、中1の終わりごろには気持ちを奮い起こし、高校受験に向けて再び、通塾生活を再開した。
中学受験のときと同様に、彼が目指す先は、やはり東大だった。東大合格者数の多い御三家、新御三家の中で高校からの入学を受け入れているのは、巣鴨と開成のみ。東大を目指す拓真君は迷わず東大合格者全国1位を誇る開成を第一志望に据えた。
偏差値30台急落からのリベンジ
数年にわたる小学校時代の通塾生活は、無駄ではなかったようだ。自宅近くの早稲田アカデミーに通い始めたものの、中学受験で先取りした部分があったおかげか、塾のクラスは上位クラスをキープ。野球やゲームも続けていた。同じ塾の友達や学校の友人も部活や遊びも楽しみながら通う生徒が多く、勉強漬け、塾漬けの人ばかりで“遊ぶ友だちに困る”ということもなかったという。
ただし、中2に入ると“勉強貯金”が切れたのか、苦手な数学が偏差値30台まで下落。得意のはずの国語でも漢字のテストの点数がボロボロに。塾からは「クラスを落とすぞ」と忠告を受けるまでになり、「さすがにまずいと思って」勉強を本格化。次第に猛勉強する日々に突入していった。
しかし、開成という壁は思ったよりも高かった。中学3年生の10月、拓真君は東大への登竜門としてずっと意識してきた開成を諦める決断を下す。そこには、彼なりの合理的な判断があった。
私立高校の受験の場合、必要なのは国語、数学、英語の3教科というところがほとんど。ただ、開成だけは理科と社会の試験が課せられていた。
5教科を頑張り、開成のほかに、都立や国立を受験するという道もあったはずだ。だが、拓真君はその戦略は取らなかった。
「都立の理社はそれほど難しくないので、やったら点数は取れたと思います。でも、都立に行くとなると、内申点がいるんです。日比谷高校などに受かってるやつは(内申点が合計)45以上とかあったと思う。でも僕は内申点がそれほどいいわけではなかった。それに、開成に出る理科社会は、群を抜いて難しい」
高校受験は中学受験のように、チャレンジ校だけ受けるわけにはいかない。最終的な受験、大学受験に近いためだ。挑戦の道を選ぶか、安全な道を選ぶか、考え抜いた結果、拓真君が選んだのは後者だった。3教科で受験できる、早慶の附属校に志望校を切り替えて対策を練ることにしたのだ。東大という幼い頃からの夢に見切りをつけ、冷静に自分の実力から考えて選んだ現実路線だった。
この見極めと切り返しは、奏功した。拓真君は見事、第一志望の学校から合格をもぎとったのだ。
そうして入った付属高校では3年間、学校生活をしっかり満喫したようだ。拓真君は晴れやかな表情を浮かべながら語る。
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