たむけん罵倒に激怒する無関係な一般人の心理 「どうでもいいこと」として捉えられない

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インターネットのコミュニケーション空間の主流はSNSだが、これが日常生活に欠かせないインフラと化して以降、心理的なデタッチメントが困難になっているのだ。

「見たいものしか見えない」フィルターバブルのことを知識として理解していても、タイムラインを流れる「どうでもいいこと」が「どうでもいいこと」に捉えられず、それを発信する「どうでもいい相手」が「どうでもいい相手」とは思えず、激しい怒りの矛先を向けて粘着しやすくなる。SNSのやり取りから「心理的に離れていること」ができないのだ。AさんのTwitterのリプライの反応が気になって眠れないというのがまさにそれを表している。

しかも、ここにはゲーム的ともいえる嗜癖の要素も絡んでいる。オンライン上では、特定のボタンを押せば、すぐに反応が返ってくる。リターンが迅速なのだ。それは、反論や罵倒であったり、言い訳や謝罪であったりするのだが、指先をちょっと動かすだけで、場合によっては、相手の心理に強烈なダメージを与え、相手またはその組織を簡単に窮地に追い込むことができるからだ。

オフラインでは物理的な制約があるためこうはいかない。分かりやすくいえば、それは「情報空間における遠隔操作によるドローン攻撃」のようなものだ。

そのような問題行動に至る動機を下支えしているのが、社会的なつながりの希薄化や、社会的な承認の不足である。

自己肯定感が一時的に満たされる

家族や企業はかつてのような盤石なものではなく、むしろトラブルの発生源としての側面があらわになっている。これには社会経済状況の変化も大きく影響している。さらに、家族や企業における人間関係以外に、私的な悩みなどを気軽に相談できる関係性や、適当に憂さ晴らしをできる場(機会)が乏しい現状が、不安と不満の感情が手当てされずに放置される不健康な精神状態を作り出してしまっている。

そのため、私たちは明らかに自己肯定感が持ちにくくなっており、生活の土台がさまざまな社会情勢の「気まぐれ」で移り変わる昨今、ストレスにさらされた際の避難所(シェルター)的な場所が期待できない中で、最も身近なコミュニケーション手段であるSNSへの依存度合いが高まっているといえる。

確かに、自分の人生がコントロールしがたい状況下において、自分がコントロールする側になれるという状況は魅力的に映るだろう。オンラインの世界では、気に食わない相手に罰を与え(罵倒)、好きな相手には報酬を与える(いいね)ことができる。このときだけ自己肯定感は、一時的に満たされる。炎上騒動がニュースにでもなれば、達成感のようなものも得られるだろう。

だが、限りある時間の中で本当に解決しなければならないのは、私たち一人ひとりの人生の「コミュニケーション環境」なのではないか。

たむらけんじさんは「ネットの皆様へ」と題した2月5日のツイートでこう述べている。

「向こう〔著者注:ラーメン店主のこと〕へのお言葉はもうやめましょう。皆さんの大切な時間を費やしてまでやる価値のない事です」

これ以上何も付け加える必要はないだろう。

真鍋 厚 評論家、著述家

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まなべ・あつし / Atsushi Manabe

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。 単著に『テロリスト・ワールド』(現代書館)、『不寛容という不安』(彩流社)。(写真撮影:長谷部ナオキチ)

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