「女子アナ」の役割と闘って得た本音の生き方 小島慶子さん「もうすぐ女子アナは絶滅する」

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例えば当時、アナウンサーはニュースを読む際、「てにをは」1つ直すのも、記者に確認を取らねばなりませんでした。渡された原稿をいかにもニュースらしく見せるのが仕事で、記事の内容に意見するのは記者の聖域を侵すこととみなされることも。

とくに女性はあくまで視聴率を稼ぐ「画面の華」で、ニュースを理解する程度の知性は必要だけど、ジャーナリスティックな視点や自分の頭で考えることは求められていません。最近も、一人称で意見を言って番組を降ろされた若い女性アナウンサーがいましたよね。放送局内の根深い性差別と職業差別は変わっていないのでは。

私の上司は宇野淑子さんという民放で初めて定年まで勤めあげた女性アナでした。 「アクセス」 (1998〜2002年担当)という新しいラジオのレギュラー番組の話がきたときに「あなたの財産になるから」と背中を押してくれました。それが入社4年目、26歳のときです。開始半年で、ギャラクシー賞のDJパーソナリティ賞を頂きました。

「アクセス」を立ち上げたプロデューサーの古川博志(現TBSラジオ常務取締役)さんは、「26歳の小島慶子というひとりの人間として話してくれればいい。アナウンサーであることは忘れていい」と言ってくれました。呼吸が楽にできる場所があるんだなとうれしかったです。テレビに出ると、ラジオと同じことをしゃべっても生意気だと言われる。ならば20代の女の身体なんて要らないよ、とも思いました。

「見る・見られる」ってどういうことだろう、映像メディアと音声メディアの違いって何だろう?という問いが生まれて、それがジェンダーやメディアでの表現のあり方などについて考えるきっかけになりました。そういう意味では、ラジオとテレビの兼営局に入ったのは幸運でしたね。

2010年に会社を辞めた後も、自分では、どのメディアがメインかというこだわりはありません。そんな時代ではないですし。そうそう、最初にエッセイを依頼してくれた月刊『文藝春秋』の編集者はラジオのリスナーでした。書けるかな、と心配する私に「しゃべれる人は書ける。しゃべっているつもりで書けばいい」と。このアドバイスは今も支えになっています。

「女子アナ」をめぐる本音と建前のせめぎあい

「女子アナ」の誕生は80年代末。フジテレビの八木亜希子さん、河野景子さん、有賀さつきさんの3人娘が最初ですね。当時の人気企業だったテレビ局が、自社の新人OLをタレント化したのです。女子アナという呼称は、このとき誕生したそうです。あの頃は、テレビの業界用語や内部事情に詳しいことがカッコイイ時代でした。女子アナは、いわば内輪ウケ時代の究極のアイドル。OLがタレントになったのですから、80年代前半の女子大生ブームからの自然な流れと見ることもできそうですね。

女子アナは高学歴で高収入の正社員、いわば超高級OLです。有名企業のお嬢様が言い間違えをして慌てたり、タレントに頭をたたかれたり……というギャップが、当時は珍しがられました。私が入社した1995年、TBSでは私たち同期女性3人(堀井美香さん、小川知子さん)が、新人ユニットのような感じで引っ張りだこでした。でもアナウンス部では「勘違いしないように! あなたたちはタレントじゃないから」と、厳しく言われました。まだアナウンサーはあくまで日本語のプロであるという建前が生きていたのですね。

ただ、TBSも“天然ボケ”と言われて雨宮塔子さんがブレイクしていましたから、制作部は女子アナブームに乗りたい。いわばテレビ局の本音と建前のせめぎあいの時代でした。後に伺いましたが、雨宮さんもそんな風潮にそうとう苦しまれたようです。

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