お金がいくらあっても「足りない」と思うワケ 「満たされた」感覚が全く得られないヤバさ

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守銭奴という言葉がありますが、まさにお金を貯めることだけが趣味のような人もいます。たしかに資本主義の世の中は、すべてを商品化する方向に動きますから、最終的には人間の命さえお金に換算してしまう。そんな世の中であればこそ、お金だけが信用できるとひたすら蓄財に励む人が現れてもおかしくありません。

100万円手に入れたら1000万円、1000万円手に入れたら1億円……。際限のないお金への執着の連鎖が始まるわけです。

お金が紙切れであることに気づく瞬間

お金は具体的な商品やモノではないがゆえに、さまざまな可能性と期待、欲望が無制限に反映されます。逆に言えば、それくらい多くの人に幻想を抱いてもらったほうがお金、通貨としての価値や強さが出てくる。

最近はFXなどで個人投資家も為替に関わることが増えていますが、まさに通貨の強さが国家にも投資家にも重要なポイントになっています。

ただし、その価値は本来の通貨そのものの価値とは違ったものであることを忘れてはなりません。通貨がFXのような投資の対象になった以上、それを取り巻く人間たちの期待や信用、思惑を反映した、実体とは遊離した蜃気楼のようなものになっているのです。

皆さんは1万円札の原価がどれくらいか知っていますか? 造幣局の輪転機を回せば原価はわずか22円。つまり、本来の1万円札の価値は22円なのです。お金が幻想から成り立っているというのは、この事実からもわかるでしょう。

この幻想が崩れる瞬間を私は体験しています。旧ソ連の日本大使館に勤務していたころ、当時はソ連が崩壊する直前で、とてつもないインフレと物資不足にあえいでいました。

『人に強くなる極意』(書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします)

忘れもしない1991年1月のある日、夜のニュースで突然、「本日24時で50ルーブル、100ルーブル紙幣が使えなくなります」とアナウンサーが読み上げたのです。

日本でいうなら5000円札と1万円札が使えなくなるのと一緒。それまで使っていたお金が紙切れになる瞬間というのは、言葉にはできない感覚です。

日本も終戦直後には同じような状態だったわけです。激しいインフレでお金の価値が一気に下がり、また当時は国のお金のほかに国外では軍票という軍が発行していたお金もあった。軍票で資産を持っていた人もたくさんいたはずですが、当然すべて紙切れです。

お金とは人と人との関係がつくり出した人工物であるがゆえに、また人々の幻想と欲望を反映したものであるがゆえに、価値が一気に膨らむこともあれば、まったくのゼロになることだってある。

その怖さを体験しないまでも、頭の隅に入れておくことは必要です。

佐藤 優 作家・元外務省主任分析官

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さとう まさる / Masaru Sato

1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。

2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。2006年に『自壊する帝国』(新潮社)で第5回新潮ドキュメント賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『読書の技法』(東洋経済新報社)、『獄中記』(岩波現代文庫)、『人に強くなる極意』(青春新書インテリジェンス)、『いま生きる「資本論」』(新潮社)、『宗教改革の物語』(角川書店)など多数の著書がある。

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