沖縄の若者が「戦後世代」との間に見る高い壁 分断と歴史、葛藤の島でもがく若者たち(2)
大学4年生の金城海斗さん(25歳、仮名)は4年ほど前、座り込みの続く沖縄県名護市辺野古(へのこ)にある米軍基地「キャンプ・シュワブ」のゲート前を訪ねたことがある。
拡声器から怒声が周囲に響き渡っていた。
「お前ら、恥ずかしくないのか!」
基地の外に陣取る座り込みのグループのリーダーから、フェンスの向こうにいる米兵や日本人の警備員に、汚い言葉が浴びせられている。沖縄の分断を突きつけられたような気がして、違和感を覚えた。声を挙げるべき相手は、彼らではないはず。若い世代の基地問題への無関心が指摘されているが、同じ世代の友だちを誘ったとしても、1度目はともかく2度目は断られそうだ。
座り込みのリーダーに「言葉がちょっときついです。これでは若者はなかなか集まらない」と提言してみたが、やんわりと拒まれた。
辺野古の座り込みは、新基地建設のためのボーリング調査が始まった2004年からずっと続いている。県民の4分の1が亡くなった沖縄戦を生き延びた世代や、戦後の米軍施政下に米兵の横暴を目の当たりにしてきた世代。そして熱望していた本土復帰を果たしながら、基地を押し付けられて失望を味わった「戦後世代」にとって、この場所は闘いを象徴する砦(とりで)でもある。彼らにしてみれば、20代そこそこの若者に文句を言われる筋合いはない。
米兵も被害者なのかもしれない
だが、彼は諦めなかった。分断された島での対立をなくしていくために、自分が世代間をつなぐ役回りになれれば、と思った。誰もが通いやすい場であってほしいと、仲間と鍋とコンロをゲート前に持参して鍋パーティーを開いてみた。通りがかりの米兵にも声をかけ、音楽をかけて一緒に踊る。ふと見ると、フェンスの向こうにいた米兵もリズムを刻んでいる。だが、次の瞬間、リーダー格の男性に一喝された。
「お前ら、ここは遊ぶ場所じゃねえぞ!」
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