紅白「桑田&ユーミン」絶賛が映す平成の閉塞 最後の見せ場を作ったのは昭和ソングだった
平成最後のNHK紅白歌合戦は、桑田佳祐&松任谷由実による「胸騒ぎの腰つきダンス」とユーミンから桑田へのキスという〝奇跡のコラボ〟で幕を閉じた。傍らには北島三郎、「まさに平成の最後を飾るにふさわしいフィナーレ」とスポーツ紙などは絶賛の嵐だった。
日テレの「笑ってはいけない」とザッピングしながら見ていた私も、この場面には確かに「おおっ」と興奮を覚えた。
だが、少し冷静になってみよう。「平成最後の紅白」が「桑田とユーミン」で本当に良かったのだろうか。
平成最後の紅白を飾った昭和48、49、53年の曲
サザンオールスターズが最後に披露した「勝手にシンドバッド」は1978年、つまり昭和53年の曲である。
ユーミンが「視聴者からの投票」で歌ったのは2曲。「ひこうき雲」はデビューアルバムの表題曲、「やさしさに包まれたなら」は1974年のサードシングルである。それぞれ昭和48年と昭和49年の曲だ。
昭和48年というと〝田中角栄内閣〟の時代だ。読売ジャイアンツがV9を達成して、翌年の昭和49年には長嶋茂雄が現役を引退した。
「勝手にシンドバッド」の1978年当時は福田赳夫内閣、王貞治800号本塁打の年である(巨人ネタが時代の共通知識でもあった)。
そういう時代に発表された曲が「平成最後の紅白」のクライマックスとされたのだ。ユーミンの2曲は、平成に入ってジブリ映画の主題歌に使用されたことで認知度が上がったとはいえ、である。
そして2人の年齢は、桑田佳祐が62歳、松任谷由実は64歳。
ここで30年前の1988年「昭和最後の紅白」を振り返ってみると、当時の出場者で最年長は白組が北島三郎で「55歳」、女性は島倉千代子「50歳」だった。
大トリを務めた〝昭和最後のサブちゃん〟でさえ、今の桑田佳祐より7歳も若かった。
そしてまだ30代だったサザンとユーミンはこの年の紅白を〝出場辞退〟している。
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