鎌倉路地奥のイタリアンが評判になった理由 兄はピザ職人、弟はチーズ職人
卒業後、コックとして働き始めたが、「イタリアで修行したコックなど日本にごまんといる。このまま帰国しても、その中に埋もれてしまうだけ。何かイタリアでしか身に付けられないものを覚えて帰らなければ」と焦る気持ちが強くなってきた。
そこで、これはと思ったのが、学校の課外授業でも見学に行ったチーズ工房だった。工房を見学する前は、チーズ作りはものすごく奥が深くて手を出しづらいものと思っていたが、「技術やノウハウは必要ですが、実際に作っているところを見ると、意外と自分でもできるかもしれない」(大志郎さん)と思ったという。
プーリアはフレッシュチーズの名産地だ。しかも、日本で兄がピザ職人になっているのもわかっていたので、「自分がおいしいチーズを作れれば、兄のピザと合わせて面白い店になるに違いない」と、チーズ職人を目指すことにした。
お金を残すため、自分たちで壁塗り
こうして、兄弟別々にイタリアで修行を終えたが、すぐに自分たちの店が持てたわけではなかった。
まずは、場所の問題があった。すでに兄弟ともに鎌倉に住んでおり、とくに大志郎さんは鎌倉で「あの店いいよね」と地元の人が自慢してくれるような店を持つのが夢になっていたが、鎌倉は土地が狭い。目指す店は、レストランの客席・厨房のほか、ピザ焼き窯やチーズ工房、さらにチーズの小売りスペースまで必要で、そんなに広いスペースが確保できる物件は、なかなか見つからなかった。
そんな中で不動産屋に紹介されたのが、西口の路地奥にある一軒家だった。以前は和食屋だったが2年ほど空き物件になっていた。地元に住んでいながら、こんな路地があるとは知らなかった場所で、はたして商売が成り立つのか疑問を感じた。
迷いに迷った末に、結局この場所しかないと決意した。開店資金は公庫や親戚から借りて何とかなったが、修行でお金を使ったこともあり、節約しなければならなかった。
そこで、少しでも手元にお金を残すために、店の工事が始まるとDIY生活が始まった。朝から晩まで、手伝ってくれる仲間たちと一緒に大工さんに混じって壁塗りなどの作業を行う日々が続いた。しかし、これが功を奏し、近所の人と顔なじみになることができた。筆者も開店する前に友人の紹介で兄弟を訪ね、面白そうな店になりそうだと思ったことを記憶している。
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