司法試験勉強から引きこもった34歳のリアル ある日、警察官と保健所がやってきた
それが2015年の7月のこと。その後、彼は斎藤さんの本を読みあさった。そしてしつこく連絡をしてくる「迷惑な親」をなんとかしてもらえないかと斎藤さんに相談に行った。それがきっかけで、「しばらく続けてみませんか」と誘われ、2週間に1度、通うこととなった。そうやって斎藤さんと話をしているうちに、ようやく自分がひきこもっていたことを自覚する。
誰でもなりうるひきこもり
同じころ、「支援団体」と名乗るグループが暴力的に家から連れだして寮に入れてしまうのをテレビで見ても、自分の経験と照らし合わせ、ひきこもりをめぐる状況を客観的に見られるようになっていた。斎藤さんが参加している「ランニングの会」にも誘われて行くようになり、今もときどき一緒に走る。そうやって、木村さんは徐々に人や社会との接点を見いだしていく。
「ついにひきこもりから脱出したのは2016年4月。写真の学校に通い始めたんです」
宅浪時代と大学卒業後合わせて計10年にわたるひきこもり生活。脱するきっかけは、その少し前に人間関係をつくりたいとネットライブ配信にはまったことだった。配信を通じてひとりの女性と親しくなり、ダンサーである彼女に踊っているところを撮影してほしいと頼まれた。もともと写真を撮るのは好きだったが「カメラがあると人とつながれるんだ」と実感したという。
彼はプロのカメラマンになるためのコースに1年間、しっかりと通った。
「いろいろな世代や立場の人が通ってきていました。長い間人と関わっていなかったから、最初は戸惑いもあったけど、みんなで一緒に学んでいこうという雰囲気があって違和感を覚えずにすみました。同時期に自分で見つけた“居場所”にも頻繁に行き始めました。『ひきこもりフューチャーセッション庵』という、当事者の会です。同じ経験をした人同士で話すことがいかに大事か、よくわかりました。“人薬”というのかな、医者の薬より話すことがいちばんの薬になると実感したんです」
同年秋、『ひきこもり新聞』を立ち上げた。ひきこもり当事者が声を上げなければ、世間の偏見が大きくなるばかりだと感じたからだ。「働かないダメなヤツ」としか思われていない。それは違うと声を上げたいと強く思ったという。
ひきこもりになる人、ならない人の違いはどこにあるのか。彼が心を寄せた斎藤環さんに話を聞くと、
「ひきこもりは個人の資質だとしたほうがわかりやすいけれど、必ずしもそうではない」と断言する。人間関係と環境や状況によって、誰でもストレスを感じ、うつ状態になることがある。その防衛本能でひきこもるのだという。つまり、誰でもひきこもる可能性があるということだ。
「それが孤立化し、長期間に及ぶと身体と心を病んでいく。病的な状態につながるおそれがあるんです。そうなったら治療が必要です」(斎藤さん)