ひと昔の中国といえば、鄧小平の韜光養晦(とうこうようかい)の発想がベースだった。すなわち、韜光養晦とは、光を韜(つつ)み養(やしな)い晦(かく)すという意味であり、日本で言う「能ある鷹は爪を隠す」と同じ発想だ。
力をつけた今の中国は、この鄧小平の発想から一歩進んで「一石を投じて、波紋を見て覇権を強化する」ことを考えている、という。これは、私が懇意にしているチャイナウオッチャーの鋭い見方だ。
抑えきれない民衆の不満
だが、それはそれである。一方で、いまの中国の国内では、国民の共産党一党体制に対する批判の声は、ますます大きくなっている。
この2年から3年、こうしたデモが激増していることも事実だ。いくら抑え込もうとしても、「燎原の火」のように、広がってしまう民衆の不満は抑えきれない。2010年の尖閣諸島をめぐる日本大使館への抗議デモの時も、最後は中国共産党への抗議デモに変質して、政府は急遽、学生のデモを解散させたことは、記憶に新しい。
そもそも、中国の民衆による「民意」と、共産党の「党意」は同じではない。日本人から見ると、中国の動きは一枚岩のように見えるかもしれないが、実は中国のなかには、全く違う意見もあるのだ。ここしばらくの間は、中国において、表に出てくる「世論」を峻別しながら、その一つ一つを注視する必要がある。
「ネット取り締まり」と「ネット暴露」の、いたちごっこ
では、中国の「世論」にいまや欠かせないネットはどうなっているかを解説したい。「中国のネットは、政府にコントロールされているので、一切のSNS(ソーシャルネットワークサービス)は規制されているはず」と考える読者の方は少なくないだろう。なるほど、フェイスブックもツイッターもYouTubeも、Googleも、中国内から外国へは、一般的にはつながらない。
だが、実は若者たちは約100元(1500円位)も出せば、つなぐことのできるソフトを裏から入手、繋ぐ方法を知っている。だから、何のことはない、北京や上海の学生たちは国外の情報をよく知っている。北部アフリカでインターネットからジャスミン革命が起こったように、中国でも政府のコントロールが効かなくなれば、「反体制分子」による抗議デモが頻発しても、何の不思議もないのだ。
中国政府はグーグルの自由な活動を規制するなどしてきたが、それでも世界のネット社会の潮流には勝てなくなってきている。以前ほど強制的な締め付けはできなくなっている。政府が許可しているネットメディア(ウィーチャット等)も解禁されてきたから、ネット社会の存在を無視できなくなっていることは明白である。今後はますますオープンにならざるを得ない。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら