81. 「昭和」は『四書五経』にある〈百姓昭明 協和萬邦〉という言葉から漢学者・吉田増蔵が考案したものだ
82. そこから二文字をとり「昭和」としたが、江戸時代には同じ出典から「明和」という元号が制定されている
83. 1945年、第二次世界大戦の敗戦後、日本国憲法制定に伴う皇室規範の改正で元号の法的根拠が一時消失した
84. 1946年、衆議院議員・尾崎行雄は「1945年限りで昭和の元号を廃止し新年号に移行」との改元意見書を提出
85. このなかで尾崎は敗戦を機にまったく新しい「無限の〈新日本〇年〉の表記を用いるべきだ」と主張した
86. 1950年2月には参議院でも元号廃止の議論が持ち上がったが、ここで東京大学教授・坂本太郎は反論
87. 坂本は「元号は独立国の象徴であり、日本の歴史・文化と緊密に結合している」と熱く主張した
88. 同年6月に朝鮮戦争が勃発すると元号の議題は棚上げされ、以来、現在まで国内の議論は低調にとどまる
89. 日本国内で元号と西暦の併用が増加したのは、1946年に行われた東京オリンピック以降のことである
1979年に「元号法」が制定され現在に至っている
90. 1979年には昭和天皇の高齢化と国民の約87.5%が元号を使用している実態を鑑み、「元号法」が制定された
91. 「元号法」は「元号は政令で定める」「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」という二項のみである
92. 明治以来の〈一世一代の制〉が維持されたが、ここで再び元号に対する法的根拠が生まれ現在に至っている
93. 昭和天皇の体調悪化に伴い、新元号選定に召集されたのは小渕恵三官房長官をリーダーとするチームだった
94. 当時の内閣内政審議室長・的場順三は「漢字二文字」「書きやすく読みやすい」を条件に国内の学者に依頼
95. 文学や歴史学の専門家から提出された10案から、過去に中国や他国で使用されていない3案を抽出した
96. 1989年1月、昭和天皇崩御に伴い「正化」「修文」「平成」の3案から、頭文字が重ならない「平成」が採択
97. 「平成」の考案者は東京大学名誉教授で東洋史学者・山本達郎だったが、その名の公表は26年間伏せられた
98. 山本は2001年に心不全で亡くなるが、彼はその日まで自らが考案した事実を家族にさえ明かさなかった
99. 元号には縁起の良い文字を使用することが多いが、歴代247ある日本の元号で使用された漢字は72文字のみ
100. そのうち21文字は10回以上用いられ、一番多いのは「永」の29回。2番目は「天」「元」の27回である
(文:寺田 薫/モノ・マガジン2019年1月2日・16日合併号より転載)
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