元来、プライドは、自分の能力に対する過信、おごり、高ぶりを意味し、ほかの人の利益を犠牲にする極めて重大な罪であると考えられている。「Pride goes before a fall(プライドはつまずきに先立つ)」ということわざもあるが、まさにプライドとは「おごれる者は久しからず」の「おごり」にあたる。
一方で、「誇り」に当たるプライドは、ポジティブな効果をもたらすことが実証されている。サウスウェールズ大学の研究では、プライドが忍耐力ややり抜く力につながり、勤勉さと献身に結び付くと結論づけられた。つまり、プライドには「良いプライド」と「悪いプライド」の2種類が存在するということになる。実際、英語では、良いプライドはAuthentic pride (正真正銘のプライド)、悪いプライドはHubristic pride(高慢なプライド)といったように区別される。
「正真正銘のプライド」とは、自分の持つ能力に対する誇りの感覚だ。自分の作り出す作品に対する誇り、仕事に対する献身やその成果に対する満足感など、自分の内面から湧き上がってくる「絶対的な感覚」。こうしたプライドは周囲から共感も得やすく、また、自分のノウハウや技を共有し、他者をサポートしようとする行動につながりやすい。脳科学的にも、他者とのつながりを促進するセロトニンの分泌と関連付けられている。
一方で、「高慢なプライド」は、自分の有能性や支配力を過度に誇示しようとするために、脆弱な自我と不安、攻撃性を伴う。こうしたプライドは男性ホルモンの分泌と密接に関わっており、他者との関係性を阻むと考えられている。
「相対的な自信」は百害あって一利なし
つまり、「誇り」とは、他者からの評価とはまったく関係がない「絶対的な自信」であり、「傲慢」は肩書や身分を根拠に、自分を誇大表示して見せようとすることである。結局のところ、他者からの承認や評価に依存して得られるものであり、他人と比較したときの優位性に基づく「相対的な自信」ということになる。こちらのほうは百害あって一利なしということなのだ。
「良いプライド」は謙虚さを伴う。職人が、現状に満足せずに、つねに高みを目指し、より良いものを作り続けようとする姿はこの典型だろう。一方で、自分を進化させていく努力をやめ、他者との競争や、他者からの承認によって自己の存在意義を求めようとすれば、そこには最終的に、空虚さと孤独しか残らない。
人は案外、まがい物のプライドにとらわれやすいものである。人を解放し進化させるプライドか、人を閉じ込め退化させるプライドか――。そのプライドの真贋を見極めておく必要があるだろう。
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