47歳女性が病に悩む子供に「髪を捧げた」事情 髪を寄付するだけで誰かの心の支えになれる

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カット後の牧野さん。全体がすっきりとし、表情も晴れ晴れとしている(筆者撮影)

生まれつき右足の太ももから足首にかけて、単純血管腫という赤いあざがあった。大人になればズボンをはいたり厚手のストッキングを着用したりして隠せるが、30年以上前の中学・高校で「自己都合により自由な服装を許す」という配慮はなかった。長いスカートをはくと「不良」と見なされ、指導を受けた時代である。

牧野さんは「素足にソックスであざは隠せません。毎日、制服のスカートをはくのが苦痛でした。それがトラウマになり、女性らしく生きることもあきらめました」と思春期から青年期までにわたる悩みを振り返った。

反抗期にはあざを理由に両親へ八つ当たりしたこともあった。しかし、26歳の時にレーザー治療を受けてあざは8割近く消えた。毛細血管を傷つけるので激しい痛みを伴ったものの、30歳前後に治療は終わり、「見た目問題」はほぼ解決。それまで人前では脚にファンデーションを塗っていたが、温泉やプールにも抵抗なく行けるようになった。

「見た目問題」は自分だけのものじゃない

牧野さんは「私は見た目問題を克服した」と考え、「同じ悩みを抱えた人を支援したい」と考えるようになった。2012年ごろから都内へ定期的に通い、カバーメイクの講習を受けた。数多いファンデーションの中から自分の肌に合わせたものを選ぶことによって、あざやシミを隠すことができるメイクの技法である。

「見た目問題は乗り越えた」と自負していたが、ある日、講師から「あなたは、まだ自分のことをかわいそうがっている」と言われたという。当時を振り返り、こう分析する。

「治療によってあざはなくなったが、気持ちはまだ癒えていなかったんです。カバーメイクを学ぶことは、自分のセルフカウンセリングでした。完全に心と体を癒やし終えた後で、『ちゃんと当事者の話に耳を傾け、支援できる』と思ったのです」

どんなあざやシミも完全に隠すスキルを身に付けるには、経験を積む必要がある。美容室などで毎日、腕を磨いているメークアップアーティストの技と、自分の技量に大きな隔たりを感じた牧野さんは、「もっと身の丈に合った方法で見た目問題の当事者を支援できないだろうか?」と考えた。

そこで出会ったのが、ヘアドネーションだった。

牧野さんは日ごろ、精神保健福祉士として障害者の就労支援をしている。仕事とボランティアで「支援」という役割を自分に課してきて思うのは、自身の問題が解決されたからといって終わりではないということ。同じ悩みを抱える人に手を差し伸べ、誰かの役に立ってはじめて、前を向いていけると感じている。

明るい笑顔で寄付をする自身の髪を持つ牧野さん(筆者撮影)

「見た目問題については私も当事者でしたから、理解したつもりでいました。でも、技術が伴わない。私が貢献できるのは、髪を伸ばすことぐらい……と気づきました」

たかが髪、されど髪である。生理現象に任せてできるボランティアだが、やってみればなかなか大変。髪を切ってスッキリし、達成感を得た牧野さんはこう話す。

「いろんな葛藤を抱えていたけれど、やっと自分を受け入れられるようになり、今の私の人生は穏やか。だから、これまでをゆったりと振り返ることができる。今までの経験を活かし、またほかに自分にできることがあればお役に立ちたい」

若林 朋子 フリーランス記者
わかばやし ともこ / Tomoko Wakabayashi

1971年富山市生まれ、同市在住。1993年から北國・富山新聞記者。2000年まではスポーツ全般、2001年以降は教育・研究・医療などを担当。2012年に退社し、フリーランスの記者に。雑誌・書籍・広報誌やニュースサイト「AERA dot.」、朝日新聞「telling,」「sippo」などで北陸の話題・人物インタビューなどを執筆する。最近、興味を持って取り組んでいるテーマは、フィギュアスケート、武道、野球、がん治療、児童福祉、介護など。

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