「新御三家」時代の輝かしい成功
――1990年代の初めの段階で、日本へラグジュアリーで進出する決断はかなりチャレンジだったのでは?
90年代の初めの東京と、今現在の東京は違うと思います。しかしながら、東京は当時から大都市でしたし、日本は経済的にも重要な場所でした。
そして90年代の初めになると、日本の旅行者が海外に行くのも増えましたし、外国から日本へ来る旅行者も増えました。ウェスティンとしても、やはり東京にホテルの旗を掲げることが、戦略上、重要になりました。
その頃はまだ海外の、たとえば米国のお客様は、必ずしも帝国ホテルやホテルオークラに泊まりたい方ばかりではなかったと思います。ウェスティンは戦略的に、サッポロと協力をして当ホテルを開発していくと決めました。
東京にホテルを建てることによって、さらに東南アジアへもビジネスの機会を拡大していけると考えました。
――当時、新御三家と言われていましたね。パークハイアットとフォーシーズンズとともに、新しいホテルのカテゴリー、新しいベストホテルができたと評価された。非常に早い段階から日本の顧客にも浸透したと思うのですが、3社はよきライバルでしたか?
日本の資本、海外の資本という分けた見方はしていません。両方含めて大きなマーケットととらえています。
私が20代の頃、オークラと帝国は両方とも日本のホスピタリティの象徴でした。その頃はインターネットもなく、情報も限られていましたが、オークラ、帝国という名前は知っていました。たいへん美しい日本のおもてなしを提供するホテルだと思っていました。
90年代に入ってパークハイアット、フォーシーズンズ、ウェスティンホテル東京が参入して、お客様が選択の幅を広げる結果になったと思います。
パークハイアットは高層ビルの上にあり、たいへんモダンなインテリアでした。フォーシーズンズは、緑豊かなアメリカのホスピタリティを象徴するホテル。一方でオークラ、帝国は日本的なサービスが受けられるホテルでした。ウェスティンホテル東京は、トレンドの発信地である恵比寿ガーデンプレイスの中にあります。
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