池袋にひっそり建つ「小さな学園」の建築物語

自由学園明日館を360度カメラで探訪

羽仁夫妻の教育理念とライト氏の美意識は、今もその建物を見るとおのずと伝わってくる。中央にはホールと呼ばれる大きな部屋があり、幾何学模様のある窓が特徴となっている。ホールの背後には、羽仁夫妻が生徒たちに毎日温かい昼食を食べさせたいと設けた食堂がある。生徒たちは、その食堂下にある厨房で食事を作った。このように自らの食事を自分たちで作ることは、今でも自由学園の学びの基本となっている。

かつて生徒たちが利用していた食堂(編集部撮影)

ホール、食堂の両翼・東西には教室棟が並んでいる。建物の特徴としては、各部屋とも幾何学模様の窓で外光を豊富に取り込んでいて、床、廊下、エントランスや前庭通路には帝国ホテルにも用いられた大谷石がふんだんに使われている。今も教室の一部には創建時からの木の床材が残り、食堂の照明もほとんどがオリジナルのまま。ライト氏や遠藤新氏がデザインしたいすやテーブルが、室内にさらなる趣を与えている。

一時は売却も検討された

1921(大正10)年にこの地に女学校として開校した自由学園は、徐々に発展し生徒数も増えたため、昭和9年(1934年)に東京の郊外、東久留米に移転。その後、池袋の校舎は卒業生たちが工芸研究や食事研究などの活動をする「明日会」の拠点となり、明日館と名付けられた。明日館は太平洋戦争の戦火にも遭わず存続したが、建物の老朽化が進み、屋根はたわみ、雨漏りもひどく、雨の日には室内で傘を差して歩いたという逸話も残っている。

一方で、1968(昭和43)年には、ライト氏の日本国内における代表作である帝国ホテルライト館が解体される。建物の保存運動が起こったががなわず、その後建築界や自由学園の卒業生を中心に、明日館はなんとしても残さねばという機運が盛り上がっていった。

しかし明日館の保存運動は一筋縄では進まなかった。自由学園では学校経営の厳しいなか、その費用をどう捻出するか苦闘。保存した建物をどう使うかという問題もあり、建物を壊して更地を売却したほうがよいという案さえ出ていた。そんな膠着状態のまま約30年が経過した。

1990年代のバブル崩壊後、ようやくその建物保存の可能性が模索され始める。自由学園が意図したのは、建物を使いながら文化価値を高めていく「動態保存」だった。1997(平成9)年には国の重要文化財に指定され、文化庁や学識者を交えての委員会で保存修理工事の方針を討議。当時はまだ新しい考え方だった動態保存の形を模索していった。

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