エンニオ・モリコーネの名が音楽愛好家の間に轟いたのは、映画『荒野の用心棒』の作曲がきっかけでした。アメリカではまだ駆け出しだったクリント・イーストウッド主演です。黒澤明の『用心棒』のプロットを西部劇に平行移動したものをイタリア人が監督するイタリア映画。イタリア製の西部劇という意味でマカロニウエスタンと呼ばれていました。
その『荒野の用心棒』では、口笛で奏でる哀愁のメロディーが映画を見る者の心にしみたのです。それは、ある意味当然といえば当然です。なぜなら、映画の基本的な筋は、開拓期のアメリカ西部の厳しい現実を縦軸に、そんな状況でも折れない男の優しさを横軸にしているからです。誰にも理解されずとも己の正義を貫く孤独な男の哀愁。それを代弁するモリコーネの音楽は、簡潔にしてツボを得たオーケストレーションがメランコリックな旋律を浮かび上がらせ、見る者の胸をかきむしるのです。
モリコーネの元には、次々と新作映画の音楽の依頼が舞い込みます。多いときは、1年間で20作品以上も書いたこともあります。そして、活躍の場は、マカロニウエスタンを超えていきます。
1986年の英国映画『ミッション』では、18世紀南米でのキリスト教布教と植民地化の相克を音楽で描きます。特に「ガブリエルのオーボエ」は、人間の良心がにじむ美しさで圧巻です。翌87年のハリウッドの大作『アンタッチャブル』ではアカデミー作曲賞を獲得。押しも押されぬ映画音楽の巨匠となりました。
そして、1989年、モリコーネは、『ニュー・シネマ・パラダイス』と出会うのです。
モリコーネが映画化に向けて尽力
1987年、無名の新人監督ジュゼッペ・トルナトーレが自らの半生をモチーフに映画愛に満ちた脚本を書きます。この段階では映画化に向けて特段具体的な動きはありませんでした。が、その脚本がモリコーネの目に留まるところから大きく動き出します。
この脚本にいたく感動したモリコーネは、トルナトーレを自宅に招きます。還暦間近の巨匠モリコーネと親子ほども年の離れた若く才能にあふれているものの無名のトルナトーレ。彼らは、映画、人生、音楽、野心、運、邂逅、友情、そして男と女について、時を忘れて語り合ったといいます。その場面は、まるで、映画の中のトトとアルフレードのようです。1つの時代をつくって来たモリコーネが新しい世代に語り継いでいくのです。
トルナトーレの脚本がモリコーネの創造中枢を激しく揺さぶり、いくつかのカギになる楽曲は撮影に先立って原型が出来上がります。そして、実際にシチリア島のパレルモ県パラッツォ・アンドリオードで撮影が始まると、その音楽を現場に流しながら撮影していったといいます。
出来上がった映画は、ムダもムリもない極めて自然な形で映像と音楽が分かちがたく結び付いています。映像からは音楽を見ることができます。そして、音楽からは物語が聴こえてきます。
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