東大卒43歳が導かれた「ラグビー道」の充実感 東京セブンズラグビースクール・村田祐造氏

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日本代表のスタッフにはソフトを使いこなせる人材がいないため、テクニカルアナリストとして白羽の矢が立った村田。2003年に豪州で行われたラグビーワールドカップ(W杯)にコーチとして帯同することになった。

2003年ラグビーW杯日本代表の結団式壮行会。中央奥が村田氏。前方右にはトライゲッターとして活躍した大畑大介選手の姿も(写真:村田祐造氏提供)

伊藤剛臣、元木由記雄、アンドリュー・ミラー……。

“雲の上”ともいうべき錚々たるメンバーにデータを示しながら「何回もタックルを外してますね」などと指摘。

分析に基づく村田のアドバイスを聞き入れた向井の選手起用などが奏功し、日本代表はスコットランド、フランスという世界の「ティア1」に名を連ねる両チームとの対戦で一歩も引かない名勝負を演じた。村田にとって、この2試合は痛快だった。

ハードが良くてソフトも良くするために

W杯から帰国後、2度目の転機が訪れた。社会人ではバックスからフランカーへコンバートされたが、1本目として試合に出る機会にはなかなか恵まれなかった。一方で、W杯と同じ年から始まったトップリーグのチームから分析ソフトへの引き合いが殺到。

「ソフトを通じてコーチの選手育成を手助けしたほうが選手としてプレーを続けるよりも世の中の役に立てる」

W杯の半年後にジャージを脱ぐことを決めた。

三洋電機も退社して新たに同社と業務委託契約を締結。ソフトの普及活動を本格化させた。

しかし、そのころのラグビーのコーチのITリテラシーはすさまじかったという。

「ウィンドウを閉じてくださいと言ったら、パソコンのフタを閉じてしまう人もいた」

ソフト導入の壁を乗り越えても、コーチがうまく使いこなしてくれなければチーム強化にはつながらない。学生に対するダメ出し目的でデータや映像を使うチームは決して強くならず、学生が委縮するだけだった

「ハードが良くてもソフトがだめではアメリカズカップの二の舞」

分析ソフトの販売だけでなく、「eコーチング」と称してITを活用した指導者教育にも力を入れ始めた。ラグビー以外のスポーツにもソフトなどの拡販を図ったが、なかなか軌道に乗らない。

そんなとき、三洋電機在職時の上司の言葉が村田を新たな挑戦へと後押しする。

「製造業の経営者がなぜラグビー部を応援しているのか。一緒にスクラムを組み、困難に立ち向かって1ミリでも前に進もうとする。そうしたラグビー選手と同じような動きを社員に求めているからだ」

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