41歳で全て失ったライターが遂げた超復活劇 仕事がなくなる中での活路はネットにあった

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するとテレビ番組が放映された後に、再び記事が読まれ「人気記事ランキング」にランクインする場合もあった。

そうして1年半にわたり、コツコツと記事を書き続けた。

「これはウェブメディアで仕事を始めてわかったのですが。雑誌の仕事って売り込みに行くとき、それまでの作品をポートフォリオ(作品集)にして他人に見せなければならないじゃないですか? ウェブメディアはウェブに上がった原稿がそのまま資料になるんですね。これは売り込みにとても便利です」

確かにたとえば当連載でも連載名や筆者名で簡単にソートして羅列することができる。自己紹介するとき、

「こういう媒体でこういう連載をしています」

と一発で提示できるのはとても便利だ。また自ら見せに行かなくても、勝手に見ていただいて仕事がくることも多い。

それは雑誌にはない強い利点だ。

「1年半書いてやっと『この吉村って人が書いてる記事、変やけどおもろいな』って思ってもらえるようになったと感じました。

実績として紹介できる本数になったので、いろいろなメディアに送りました。またライターの交流会に出て名刺を配ったり、東京のメディアに企画書を送ったりもしました。

そうしたら『うちでもお願いします』とバンバン採用されました」

ウェブの連載だけで7媒体から依頼がきた。また雑誌『週刊大衆』(双葉社)から週刊連載の仕事もきた。

「昨年はテレビの放送作家の仕事がつらく、ストレスから直腸に腫瘍ができて2回手術したんです。それで去年の末、2本放送作家の仕事を降りました。それで月に22万円の減収になりました。

かなりキツかったんですが、今年になってライターとしての仕事が増え、やっと今月になってライターだけの収入でやっていけるようになりました」

何歳でも復活のチャンスはある

いったん何もかも失ってどん底まで落ちた41歳の男性が、53歳で人気フリーライターに復活できたという事実は、ウェブメディアの可能性を示すものだと思う(もちろん吉村さんの才能があればこそだが)。

「今思えば最大の転機は12年前のぎっくり腰でしたね。とことん落ちぶれました。

『ウェブメディアは過去の紙媒体のキャリアはまったく通じない』

という普通ならデメリットになる部分が、逆に50代でリカバリーできたカギになったと思います。

もう53歳ですけど、ライターとして行けるとこまで行きたいですね」

プライドを捨てジタバタとあがけば、何歳でも復活のチャンスはあるのだ。

村田 らむ ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター

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むらた らむ / Ramu Murata

1972年生まれ。キャリアは20年超。ホームレスやゴミ屋敷、新興宗教組織、富士の樹海などへの潜入取材を得意としている。著書に『ホームレス大博覧会』(鹿砦社)、『ホームレス大図鑑』(竹書房)など。

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