41歳で全て失ったライターが遂げた超復活劇 仕事がなくなる中での活路はネットにあった

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食事はベルギーワッフルのお店が廃棄する焦げ焦げのワッフルを拾って食べた。

「ワッフルがすごい甘いんですよ。ホームレス生活をしているのにブクブクに太ってしまいました(笑)」

なんとかホームレス生活を乗り越え、高円寺に引っ越した。仕事は順調に増えていった。

『週刊SPA!』(扶桑社)で1週2ページの大型連載をはじめ、『宝島』からも連載依頼がきた。

「離婚は苦労もしましたけど、しっかり稼ぎました。みんなにおごりまくって、風俗に行きまくってもおカネはなくならなかったです。東京の生活も楽しくてしかたなかったです。クラブに行って踊りまくっていました。そんなふうに浮かれていたからか、バチが当たりました」

手書き原稿のFAXでの入稿ができない時代に

それまでは手書き原稿をFAXで入稿していた。しかし東京では「メールで入稿してください」と言われた。吉村さんはそれまでパソコンはまったく触ったことがなかった。

「ウィンドウズ 95のノートパソコンを買いましたけどまったくわからなかったです。原稿を送るのにひどく手間取って、締め切りに片っ端から遅れてしまったんです。業界では“仕事ができないライター”とレッテルを貼られてしまったんだと思います」

『週刊SPA!』『宝島』など大口の仕事が一気になくなってしまった。ミリオン出版など小口の仕事は残ったがそれだけではとても食べてはいけなかった。

「みるみる貯金がなくなっていくんですよ。

『神は俺を殺す気か!!』って本気で思いましたね。

親から借金して支払いして、入金があったら親に返して。5日後にまた親に借金して……というのを繰り返しました。カード会社3社から借金しましたね」

仕方なく銭湯でバイトを始めたが、清掃にきつい薬剤を使うので足の裏の皮膚が溶けて肉がむき出しになった。「痛い痛い」と苦しんでいると「早くしろ!!」と怒鳴られた。結局、長くは勤まらずクビになった。

悪いことはさらに続く。以前クラブで遊んでいる時に目立とうと思いブリッジをしたことがあった。バキッと腰が折れた。ぎっくり腰になり、ひどい痛みではうように家に帰った。それから2カ月くらいまともに立てず、しばらく入院して治した。以来、しょっちゅうぎっくり腰になる癖がついてしまった。

「2月の凍てつくように寒い日に家に帰ったら、玄関先でひどいギックリ腰になってしまったんですよ。ドアを閉めたところでばったり倒れたので外にも出られなくなりました」

玄関先で倒れたまま動けなくなってしまった。糞尿は垂れ流すしかなかった。そして垂れ流された糞尿は、2月の冷気で凍った。

空腹に襲われて周りを見ると、手を伸ばしてやっと届く場所に、母親が送ってくれたコメがあった。袋を破り生米を食べてなんとか命をつないだ。

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