45歳、大阪の会社員→バー経営者が得た稼業 映画の舞台にもなった味園ビルで今日も働く

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ムヤニーさんは退社時、35歳になっていた。

「30歳でも再就職は難しいですからね。フォークリフトとか溶接とかいくつか資格は持ってるけど通用するかは微妙です。もう後戻りはできへんな、と思いました」

会社を辞めて、専業のバーのマスターになった。しかし平日はビックリするほどお客さんが訪れなかった。

「これはヤバイって思いました。ずっと金土日しかやっていなかったから、平日に営業してるって気づいてもらえなかったんです。

味園ビル2階の様子(筆者撮影)

当時、流行しつつあったSNS、ミクシィに必ず毎日『店をオープンしました』という情報を書きました。現在はツイッターに移行しましたが、今もSNSでの宣伝は大事にしています」

サラリーマン経験がよかったのか、毎日キッチリ19時にお店をオープンさせていた。周りの店舗ではオープン時間がバラバラなお店が多かったため、“早い時間に開いている”というだけで来てくれるお客さんもいた。

またオープンが早いと、営業前の他店のマスターが飲みに来てくれた。

小さな努力が実り、少しずつだがお客さんは増えていった。

「サラリーマン時代の貯金はあったんだけど、それは最後の砦で手を出さないようにしようと決めてました。

その頃は自宅から通っていたんだけど、交通費がもったいないと思い店内で寝泊まりするようになりました」

お店に住んでいれば、いつでも店を開けることができる。土日祝は昼からお店を開けていた。お客さんがいない日はそのまま寝ていた。

「いつもお店の洗面所で頭洗ってましたね。今日は儲かったから銭湯に行こう!!とかそんな生活でした。中年になってこんな貧乏学生みたいな生活するとは思ってもいなかったですね(笑)。

しばらく営業してみて、暇な曜日を定休日にしようと思ったんですけど、週によってバラバラで。結局いつを休みにしていいかわからなくて、定休日は作りませんでした」

テレビや雑誌、映画効果で味園ビル自体も人気に

テレビや雑誌が取材に入ると、来てくれるお客さんはグッと増えた。

また、2015年には味園ビルを舞台に、関ジャニ∞の渋谷すばるが主演を務める映画『味園ユニバース』(山下敦弘監督)が公開された。その効果で味園ビル自体も人気が出た。店舗数も40軒まで増えた。ムヤニーさんが初めて味園ビルに訪れた時に比べると4倍の店舗数だ。店舗数が増えると、相乗効果で来店する人も増えた。

「NHKの『ドキュメント72時間』が放映された時の影響は大きかったですね。銭ゲバも大きく取り上げられました。

会社を辞める時、両親は『止めはしないけど大丈夫なのか?』って不安そうでしたけど、テレビで取材されているのを見て安心したようでした。

野良犬を見るような目で僕を見ていた近所のおばちゃんも、放映後は

『がんばってるらしいなあ』

って声かけてくれるようになりました。

辞めた会社の元同僚たちも『まだ潰れずにやってたんだ!!』って改めて来てくれたりしてうれしかったですね。

取材が来るとブームが来てしばらくするとブームは去って……という波がありましたけど、最近は定着したような気がします。大阪以外のお客さんや外国人のお客さんも増えました」

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