45歳、大阪の会社員→バー経営者が得た稼業 映画の舞台にもなった味園ビルで今日も働く

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ムヤニーさんは両親が鹿児島出身だったので、出産だけは鹿児島だったが、それ以降はずっと大阪の南河内で育った。

「学校で覚えてくる言葉がキツイ河内弁だったので、両親には“汚い言葉”に聞こえたみたいですね。“オッサン、オバハン”とか言っていると、“オジサン、オバサン”って言いなさいって怒られたりしました」

近所には川と山がある自然豊かな場所で育った。川で魚をとり、山でカブトムシをとって遊んでいた。

小学校の裏にあったかっぱ池と呼ばれる溜池でザリガニ釣りをしていると、同級生が泥にハマってしまった。助け出そうと四苦八苦していると、1メートルほどの大きな甲羅が現れ沈んでいくのが見えた。

「『かっぱだ!!』って恐れおののいて自転車で立ちこぎして逃げました。その後、うわさが広がって大騒ぎになりましたね。TV番組が取材に来ました(笑)」

「永遠の中2バー」ができるまで

高学年になると段々悪知恵がついてきた。捕まえたクワガタムシを業者に売り払ってお金を稼いだ。そのお金で駄菓子屋に行って、ビデオゲームで遊んだ。

「その頃から、深夜ラジオにハマりましたね。『ヤンタン(MBSヤングタウン)』とか『誠のサイキック青年団』とか。特にサイキックの竹内義和さんのファンでした。ハガキ職人もやってましたね」

「誠のサイキック青年団」にハマリ、B級映画ばかり見ていた時代の趣味が現在のお店にそのまま生かされている(筆者撮影)

「誠のサイキック青年団」は関西では北野誠さんと竹内義和さんがパーソナリティを務めたカリスマ的な人気を誇ったラジオ番組だ。たまたまだが、かっぱの取材に来たのも竹内義和さんの番組だったという。

「深夜のテレビ番組を録画してB級映画ばかりよく見てましたね。ジョン・カーペンター特集とか、『鉄男』(塚本晋也監督作品)とか、『未来忍者 慶雲機忍外伝』(雨宮慶太監督作品)とか……。

その時点で話が合う同級生はほとんどいなくなりました。この時代の趣味が現在のお店にそのまま生かされてますね。『銭ゲバ』は『永遠の中2バー』って呼ばれています(笑)」

ムヤニーさんのお父さんは自身の学歴が中卒だったので、ムヤニーさんに対しても「別に高校に進学しなくていい」というスタンスだった。

だが、ある日急に「高校だけは卒業しないといかん」と言い出した。

「会社の同僚に『高校は出ておくべきだ』って説得されたのかもしれませんね。それまで全然勉強してなかったからどこを受験していいかわからなかったです。ベビーブームで定員オーバーしていましたし。ギリギリで勉強して、なんとか工業高校に入りました」

家からかなり遠い学校だったため学校ではあまり友だちは作らず、地元の友だちと遊んでいた。相変わらずラジオを聞き、ビデオを見る日々だった。

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