開店当初は仲間と一緒に店を営業していた。ムヤニーさんは会社に通いながら金土日だけお店に入った。
開店当初は大阪芸大生や卒業生のお客が多かった。バンドマン、役者、カメラマン……と立派な肩書の人もいたが、ほとんどがフリーターだったという。芸大生だけあって「ステッカーを作りましょう」「フライヤーを作りましょう」といろいろな提案をしてくれて助かったし楽しかった。
銭ゲバを立ち上げる直前、常連だった竹内義和さんのイベントハウスが閉店してしまった。代わりに銭ゲバでイベントをさせてほしいと声もかかった。ネットラジオを配信している人たちもスタジオとして利用した。
味園ビルにライブハウスがオープンした後は、楽屋として銭ゲバが使われることもあった。ライブハウスに出演する竹内義和さんもお店に訪れた。
もくろみどおり銭ゲバは、仲間が集う遊び場になった。
「ずっとあこがれだった竹内義和さんがお客さんとして来てくださるのはうれしかったですね。
ただ、収入は全然でした。手伝ってくれる人も無償で働いてました。足りないぶんは、僕のサラリーマンの収入で補塡してました」
一緒にお店を始めた友人は1年働いたところ、一身上の都合でお店を辞めた。
ムヤニーさんは金土日のみの営業を2年間続けた。その頃になると、バーの収入だけで家賃が払えるようになっていた。
週末だけで家賃が出るなら平日も開けたら生活できるんじゃないか?と考えた。
会社の中でできた人脈は会社の中でしか通用しない
「それでも会社を辞めようとは思ってなかったんです。
ちょうどその頃、骨折をしちゃって1カ月仕事を休まざるをえないことになったんです。会社に連絡したら上司に『1カ月も休んで、お前の仕事どうすんねん?』って嫌味を言われました。業務絡みの疲労骨折だったのに、慰めの言葉もない。
逆に銭ゲバでは『手伝いましょうか?』って言ってくれる人がいっぱいいました。
いろいろ考えて、会社では14年間働いてきたけど、会社の中でできた人脈って会社の中でしか通用しない人脈だなって思いました。銭ゲバは数年しかやっていなかったけど、いろんな人に会って、外に広がっていく人脈だなと……。だったら会社より銭ゲバのほうを大事にしたほうがいいんじゃないか?と思って会社を辞めました」
辞めると上司に伝えたが、もう少し働いてと頼まれ、結局1年後に退社することになった。
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