経営危機から脱却するため、まず行ったのが子会社整理と売り上げを超える有利子負債の圧縮であった。当時のツムラは、漢方製剤とバスクリン以外に化粧品や美術品の輸入販売など子会社事業は多岐にわたっていた。加藤社長も当時、こうした事業の整理・清算に携わり、「相当な痛みを伴う改革だった」と当時を振り返る。
また、副作用が起きたという報道が拡大してしまったのは「漢方薬には副作用がない」という誤った認識が広く浸透していたことが大きいと考え、医師への情報提供を強化。漢方医学を初めて学ぶ医師を対象にした入門セミナーの開催や、大学の医学教育において漢方のカリキュラムが拡充されたことも医療用漢方製剤の普及につながり、その後の売り上げ拡大の一助となった。
その後、風間氏と共に第一製薬から転身した芳井順一氏が後継の社長に就任。漢方薬のエビデンスを確立する取り組みなどにより、使用する医師が増え業績は順調に伸長。2004年3月期には売上高821億5500万円、純利益84億円にまで回復、6年ぶりに復配を実現することとなった。
医療用漢方製剤のシェアは8割超
現在の加藤照和氏が6代目社長として就任したのは2012年。就任時に「“KAMPO”で人々の健康に寄与する価値創造企業を目指して」という長期経営ビジョンを掲げ、これまで通り漢方事業を軸としながらもアメリカや中国での新規ビジネスも視野に入れた。
「第一は日本国内の事業」(加藤社長)という前提のもと、原料生薬の最大の調達国であり、漢方と起源を同じくする中国の伝統医学「中医学」でもツムラの技術やノウハウを活用する新規事業に踏み出した。
加藤社長は「創業当時、製薬会社は製品名をそのまま屋号にすることが多かったが、当社は中将湯本舗津村順天堂という看板を掲げた。
順天とは、『天に順(したが)う』という意味で、孟子の教えに由来すると思われる。『自然と健康を科学する』という経営理念のもと、“順天”に込められた、自然の理法に謙虚に向き合う姿勢を守りながら、患者さんに安心して使っていただける『良薬』を供給し続けたい」と話す。
奈良から上京した青年が興した津村順天堂は、創業から125年が経過した今、誰もが知る大企業へと変貌を遂げた。医療用漢方製剤に限れば、ツムラの市場シェアは現在80%を超える。
これは医療用漢方製剤の販売を始めてから40年超、途中経営危機に陥りながらも高品質な製剤の提供にこだわり続けた結果といえる。
西洋医学との融合が求められるなか、今後漢方にどのような価値が付与されていくか。ツムラの研究による新たな発見こそが、漢方製剤の新たな価値を作っていくともいえるだろう。
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