32歳、三井不動産マンが選んだ地方起業の道 山形・鶴岡発、異色の地方創生デベロッパー

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ただ、サイエンスパークの用地21.5ヘクタールのうち、開発されたのは3分の1に過ぎなかった。既存の研究施設が手狭になってきたほか、研究者向けの生活環境の向上も求められていたが、市の厳しい財政事情がそれを許さない。どうにかならないものか。考えあぐねていた市の前に現れたのが、山中氏だった。

2008年に慶應義塾大学を卒業した山中氏は、「デカいことがしたい」と、大手デベロッパーの三井不動産に入社した。配属先で任されたのは、ららぽーとやラゾーナ川崎をはじめ、大型商業施設の運営や用地取得という大仕事だった。「仕事はとても充実していた。待遇も良く、同僚や上司にも恵まれ、不満はまったくなかった」。

しかし、時を重ねるにつれ、心の隅に違和感が芽吹き始めた。「大きな仕事ができるのも会社の看板があってこそ。会社の後ろ盾なくして、自分の身一つで社会貢献ができないか」。いつしか、誰もがうらやむ大企業を飛び出す理由を模索し始めた。

スイデンテラスのロビー。コンセプトごとに本が並べられ、自由に読むことができる(記者撮影)

転機は唐突に訪れる。入社5年目の2013年秋、慶応大先端生命科学研究所の所長を務める知人の父親の紹介で、鶴岡市のサイエンスパークを見学したのだ。そこでバイオベンチャーの経営者たちの価値観や社会を動かす情熱に刺激された。「ここなら何かできるんじゃないか」。いても立ってもいられず、14年6月に三井不動産を退社、家族を連れて鶴岡に移住した。「親戚には心配されたが、妻には常々『(三井不動産を)いつか辞めるよ』と言っていたので、すんなり受け入れてくれた」。

移住して2カ月後に会社立ち上げ

山中氏に声をかけたのは、鶴岡市の担当者だった。「君、三井不動産出身なんだって?」。サイエンスパーク一帯の開発を促したい鶴岡市が、山中氏の経歴に目をつけた。そして、大手不動産会社出身の山中氏がヤマガタデザインを立ち上げたのは、移住からわずか2カ月後の2014年8月。ハイテク研究所や企業を集積した工業団地は全国に数多くあるが、用地買収から実際の開発まで一貫して民間企業が手掛けるのはまれだ。

広大な用地を前に、どんなまちづくりを進めるか。山中氏の問題意識は「サイエンスパークの内と外での交流が乏しい」ことにあった。サイエンスパークの研究棟は、田園風景の中心にぽつんと立つ、コンクリート打ちっぱなしの四角い箱で、地元住民からは「何をしているのかよくわからない」「他人の税金を使って好きなことをやっている」という声もあがっていた。

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