20代で借金2000万の男がTシャツに見た希望 少年時代の熱中に「稼ぐ力」の源泉があった

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高校受験は「男子校には絶対に行かない」ことを条件に学校を選んだ。親には授業料の安い都立高校に行ってほしいと頼まれたので、都立の商業科の高校を選んだ。

「高校なんていちばん女子といたい時期に男だけで生活するなんて考えられなかったですね。結果的に、商業科に行って大正解でした。自由な高校だったんで、友達作って、彼女作ってキラキラした青春送りましたね」

商業科にはそろばんの授業があり、そろばん3級に受からないと卒業ができないと言われた。

そろばんは苦手で結局、6級しか取れなかったが、代わりに職員室を掃除して卒業させてもらった。

卒業後はその当時、父親が経営していた寿司屋に就職することになった。

「息子っていうのは隠して、いち若手として入りました。まあすぐにバレましたけど(笑)。父親は寿司屋の経営者だけど寿司握れなかったんですよ。それで職人から馬鹿にされていたみたいで……。『お前は寿司を握れる社長になれ!!』って言われました」

入社してからはイチから寿司職人の修業をした。寿司職人としての仕事は嫌いではなかったが、不満もあった。

「寿司屋ってある程度年齢がいってないと認められない社会なんですよね。19歳で仕事ができてもお客さんにはまず認められない。たとえ味が一緒でも、客は年齢の高い人が握った寿司のほうがおいしいと言う。

職場で先輩を追い抜こう、いちばんになろうって努力すると怒られるんですよ。

『先輩に遠慮しろ。空気を読め』

って。そういうのが納得できなくて、いつも辞めたいな~と思いながら働いてました」

22歳で2000万円の借金

22~23歳のときに、会社が不渡りを出して倒産してしまった。借金の額は億円単位だった。保有している店舗を売るなどして借金を減らしていったが、2000万円の借金はどうしても返さなければならなくなった。

宗方さん自身が働いて返すのか決断を迫られた。

「22歳で2000万円の借金はものすごい絶望感あります。当時はまだバブルの残り香がある時代でした。今以上に世の中お金がすべてって雰囲気で、2000万円も借金があったら人生もうどうしようもないだろうなって思いました」

ちょうど実家暮らしのフリーターが出始め、社会問題になっていた。しかし宗方さんはそのニュースを見て、

「でもフリーターのやつらより、俺のほうがもっとどん底だぞ」

と自分に言い聞かせたという。

女の子と出会っても、実情は打ち明けられなかった。お金のことを言ったら、ひかれるだろうな、逃げられるだろうな、と思った。

時には自殺を考えることもあったという。

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