20代で借金2000万の男がTシャツに見た希望 少年時代の熱中に「稼ぐ力」の源泉があった

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宗方さんがコアチョコの収入だけで食べていけるなと思ったのは2006年ごろだった。

そのときはまだ宅配の仕事を続けていたのだが、営業所が移転し仕事のスタート時間が1時間早くなってしまった。つまり朝4時から仕事をすることになる。

さすがにこれは無理だと思って辞めた。

「定職を辞めて、フリーになるのはやっぱり怖かったですよ。でも、いざ辞めたら、圧倒的に作業できる時間が増えました。

ずっと忙しい仕事の間に少し時間を見つけてタイトにTシャツの仕事していたから、フリーになったらとにかく時間があまる。『寝すぎた!!』って思ってもまだ朝の8時だったり(笑)。しばらく違和感はありましたね。

その頃、映画のコラムを書く仕事をもらって試写会に行くようになったんですね。とにかく試写会に足を運んで、好きな映画と出会ったらコラボを申し込んでました」

子供のときに大好きだった作品や人物の商品も

フリーランスになると、急激に人脈が広がっていった。そして企業や作品と協同して商品を作るケースも増えていった。

一枚一枚実績を重ねていくことで、より大きい仕事も入ってくるようになった。

阪神タイガースの商品

「阪神タイガースの商品を出せたのは本当にうれしかったですね。小さい頃から大好きな球団ですから。手塚治虫や藤子不二雄の商品も出せました。子供のとき大好きだった作品や人物の商品を発売できるのは本当に楽しいですね」

会社は順調に大きくなっていった。2010年には、コアチョコ本社がある東中野にバーバレンタインもオープンさせた。コアチョコファンや近所の人たちに愛されるお店になっている。順風満帆に見えたが、それでも先行きの不安はつねにあった。

「2011年くらいまでは不安でしたね。すぐに仕事がなくなって食えなくなるんじゃないのか?っておびえていました。

その頃、インターネットの活用にすごい長けたパートナーができたんです。一緒によく遊んでいた男の友人だったんですが、その時就いていた仕事で色々悩んでいたので、『コアチョコで働きませんか?』って誘ってみたんです」

その友人が入社してからは、ホームページやツイッターがフルに活用され一気に拡散していった。売り上げは倍増した。

小学校のとき、「友人や仲間は大事だ」と気づいたことがここにきて実った。

2017年には、大阪に直営店であるハードコアチョコレート大阪がオープンした。

現在でも年々、成長を続けている。

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