「いろいろ考えたあげく
『とにかく毎月20万円家に入れよう』
って決めました。実家暮らしですから、月収30万の仕事につけば20万円を入れても10万円は残るんで生きていけます。毎月20万円で100カ月。借金の返済が終わった頃には余裕で20代が終わってるな……と思ったらつらかったですね」
20代で月収30万稼ごうと思ったら、職人をするか、肉体労働をするしかなかった。
寿司職人のスキルはあったので、まずは昔のコネを使って寿司屋に就職した。だが26歳のとき、社長と反りが合わなくてクビになった。父親の会社で働いていた頃から、寿司屋は性に合わないと気づいていたので、もうこれで寿司屋はやめようと決めた。
その代わりに、宅配の仕事や、ペンキ職人の仕事を始めた。
「借金を返すために働きながら、それでもなんとかならないか?と思って日々あがいてました。休憩時間に、絵を描いてゲーム会社に送ったり、映画の脚本を書いてみたりしました」
「ハードコアチョコレート」を旗揚げ
あがきの一環で、改めて映画を見ることにした。しばらく映画を見てないうちに、クエンティン・タランティーノやロバート・ロドリゲスなど新しい監督が映画界を席巻していた。彼らの作品を見るうちに、
「俺がいちばん好きなのは映画だ!! 映画の道に進もう!!」
と心に決めた。タランティーノの本に「映画監督になりたかったら、映画をたくさん見よう」と書いてあったのを心にきざみ、毎日必ず1本、多いときには一日3本も映画を見た。その流れで、映画にちなんだTシャツを作り始めた。
「Tシャツを作り始めたのは20代後半ですね。最初は『仁義なき戦い』や『恐竜戦隊コセイドン』など、作品のタイトルロゴをTシャツにプリントして、自分で着てクラブなんかに遊びに行ってました」
そもそもは遊びで始めたことだったが、Tシャツを着て歩いていると、
「それどこで売ってるんだ?」
と声をかけられることが多かった。
「来月までに俺のぶんも作っといてくれ」
と発注されることもあった。
「これはいけるんじゃないか?という手応えを感じました。だったらオリジナルのブランドを名乗ってTシャツを作ろうじゃないかと『ハードコアチョコレート』を旗揚げしました」
仲間3人で立ち上げたが、実際に方向性を決めるのもデザインするのもすべて宗方さんだった。
ホームページを立ち上げ、いち早くネット販売を始めたが、まだネット販売のシステムは安定していない時代だった。
「買いたい人、このメールアドレスまで連絡ください。口座にお金を振り込んでくれたら郵送します」
と書いて、顧客と直に取引をした。
好きなバンドの掲示板に、コアチョコのホームページのアドレスを書き込んだりもした。
直接ライブハウスに出向きチラシを配ったり、バンドのライブの打ち上げに顔を出して直にTシャツを販売したりした。
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