ひとつ語るとどんどん思い出されてくるようで、例によってIは、顔を真っ赤にして大笑いしながら、大姑が亡くなった日の思い出を語り始めた。
「おばあちゃんは大往生だったのよね。……亡くなった日はちょうど、ワールドカップの最終予選の試合の日でね。いわゆるドーハの悲劇って、あったでしょ? あれよ、あの日。あの試合のまさに真っ最中に危篤状態になっちゃって。駆けつけてくれたお医者さんが、“みなさん、最後のお別れをどうぞ……”なんて言うから家族みんな、おばあちゃんの布団の周りを取り囲んで、“おばあちゃん、おばあちゃん”ってさめざめ泣くんだけど。そんな最中に隣の部屋のテレビからは“ゴーーーーーーール!!!!!”って絶叫が聞こえてくるわけよ。
みんな悲しい顔しながら、内心“どっち?! どっちに入った!?”ってテレビにくぎ付け。そうこうしてるうちにとうとう“……残念ですが、◯時◯分、お亡くなりになりました”とか何とかお医者さんが言って。いよいよ亡くなっちゃったの。みんな悲しいんだけど、またそこで隣の部屋から“ゴーーーーーール!!!!!”よ。お医者さんだって神妙な顔してるけど横目でずっとテレビ気にしてたの、私知ってるからね! もちろん、最後はみんなで“あ〜”って、試合の結果にがっかりして終わった(笑)」
誰かに語って聞かせたい家族の物語は、喜劇がいい
おばあちゃんには申し訳ないけれど、あとにも先にも、人様の死に際でこれほど大笑いすることは二度とないだろうと思う。人生最期の瞬間に、あろうことか、ドーハの悲劇が重なるという悲劇。それがまさか、家族によってこれほど面白おかしい喜劇に仕立てられてしまおうとは。
Iはまったくもって失礼な嫁だ。けれど私は、そんなIのおかげで、おばあちゃんが、これ以上ないほど幸せな最期を迎えられたのではないかと思う。何しろ、Iがこうして面白く語り続けるかぎり、ウェディングドレスを着たおばあちゃん、フライドチキンが大好物だったおばあちゃん、日本代表のシュートと家族の関心を競り合ったおばあちゃんは、決して忘れ去られることがない。家族や、その友人たちの記憶の中で、いつまでも生き続けるのだ。
万が一私が突然死ぬようなことがあったとして、いちばんの望みを言えば、残された家族には少しも悲しんでほしくない。悲しむ余力はほかのことに注いで、今目の前にある毎日を強かに生き続けてほしい。それはあんまり薄情じゃない?とあの世から恨み節を言いたくなるほど、あっさりケロッと忘れてほしい。
……けれども残念ながらそう簡単にもいかないだろう。何しろ私たちはこれまで、それなりに支え合って生きてきてしまったから。すぐにきれいさっぱり忘れるなんてことは難しいかもしれない。……ならばやっぱり家族にはIがやって見せてくれたように、大笑いのネタとして私を心に留めておいてほしい。
自分が何者かと思い悩んだとき、あるいはこれから進むべき道が一時的に見えなくなったとき。神妙な顔でルーツをたどれば、どう進んでもしょうもない笑い話に行き当たる。生きていくうえで、これ以上に励みになることなんてそうそうないんじゃないだろうか。だからやっぱり、誰かに語って聞かせたい家族の物語は、悲劇でなく、喜劇のほうがいい。そうに決まっているのだ。
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