理科系はパーティでケーキ作りに挑戦しよう サイエンスとアートの違いを考える

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さて、これを、脳の構造から見て見よう。論理思考は、大脳新皮質の仕事である(「『理屈を言うな!』と叱責する上司への対処法」参照)。理系人間とは、新皮質の活用を得意とする者と理解すればわかりやすい。科学実験は、新皮質に任せても一定の成果が期待できる。

一方、アートは感性が必要で、より深部に頼る必要がある。右脳左脳といった俗説が正しくないことは明らかなのだが、真のメカニズム解明はかなり先の時代であろう。多くの脳の部位の複雑な相互作用がアートを支えていることは間違いない。

さて、世には分析的には理解困難な現象が多い。たとえば、煮物にどのような化学変化が起きているのか、食べるときにその物質がどのように味蕾(みらい)から脳に刺激を伝えるのか、ということの理解から、おいしい調理法までをつなぐことは、複雑すぎて人の理解に余る。

しかし、そんなレベルの理解は必要ない。人間の脳は、原理を理解しなくても、経験によっておいしい料理法を学ぶことができる。職人芸はすべてそうである。このとき、脳の内奥部の学習領域が使われている可能性がある。学習は別に新皮質の専管事項ではなく、新皮質が発達していない生物でも学習は行う。

アートは非線形かつ多変量の複雑系

アート領域の学習は、歴史や地理の暗記とは大きく異なる。ピアノやバイオリンがある程度を超えてうまくなるには、脳が発育過程にある幼時から始めることが必須である。囲碁や将棋も同様である。

アートによる学習を体得した者は、万人にわかるように原理を説明できない。だが、長嶋やイチローの打撃理論が、素人に理解できないとしても、害はない。工芸や舞踏など、分野を問わず名人芸は説明不能なものである。理論など説明できなくても、名人はいつもうまくできる。

さて、アートを無理に論理によって理解しようとすると、それを記述するのは非線形多変量の方程式群になる。線形と非線形の差を例で示してみよう。月の運行や、砲丸の落下起動などは、線形方程式の現象である。砲丸投げなら、同じような球を同じように投げれば、多少誤差はあっても同じようなところに落ちる。予測は容易で、外れたとしても大きくは狂わない。これに対し、非線形系はパチンコ玉をイメージするとよい。同じような球を同じように打っても、あちこち跳ね返って、結果はさまざまである。前者の予測は容易で、後者の予測は当然に困難である。

ただでさえ困難な非線形系が、多変量になったら、ますます理解不能になる。非線形と多変量が、複雑系のキーワードである。非線形多変量の複雑系は、人間の理解を超える。

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