A代表最年少出場の市川大祐が語るW杯の経験 17歳の自分を呼んだ岡田監督の決断力に感服

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「メンバー発表の日、僕は実家で母親とテレビを見ていたんですけど、僕の名前が呼ばれた瞬間、普段あまり感情を出さない母親が『入ったー』と後ろから抱きついてきた。自分も4年間苦しんできたけど、それ以上に親が苦しい思いをしながら支えてくれていたんだなと感じた。ホントに特別な時間でしたね。

その親にチュニジア戦(大阪・長居スタジアム)でヒデ(中田英寿)さんのゴールをアシストするシーンを見せられたのはよかった。前半0-0で点が欲しいってことで後半から森島(寛晃=セレッソ大阪強化部長)と僕が入りましたけど、交代にもメッセージ性もハッキリあったし、自分は得点に絡むプレーを出そうと思ってピッチに入りました。

2002年日韓大会のチュニジア戦でアシストを決め、チームメートから祝福される市川大祐(写真:アフロ)

アシストした瞬間はホントに自然に体が動きました。普段はイメージを持ってクロスを上げるんですけど、あの時は体が勝手に動いて、相手を抜き切らずにフェイントをかけて、距離を取りながらクロスを上げた。

蹴った瞬間、ボールがスローモーションで見えて『ああ、入ったな』とヒデさんに合う前に思いました。あんな感覚は初めて。ワールドカップという大舞台は特別な力が出るんですね」と市川は16年前の歓喜を昨日のことのように振り返る。

ワールドカップを通じて得た成功体験

彼はその後、ケガで日本代表から遠ざかり、J1からJ2、JFL、地域リーグとさまざまなカテゴリーを経験して2016年限りで現役を退いたが、2つのワールドカップを通して成功体験を得たという事実は変わりない。

今回のロシアで出場機会を得られなかった遠藤航(ベルギー1部・シントトロイデン)や植田直通(ベルギー1部・サルクル・ブルージュ)、大島僚太(川崎フロンターレ)の3人には市川の経験談は大いに参考になるはずだ。

後輩たちが成長し、2022年カタール大会で森保ジャパンがベスト8の壁を破ることを先輩DFは今、強く願っている。

(文中敬称略、後編に続く)

元川 悦子 サッカージャーナリスト

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もとかわ えつこ / Etsuko Motokawa

1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、1994年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。著書に『U-22』(小学館)、『初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅』『「いじらない」育て方 親とコーチが語る遠藤保仁』(ともにNHK出版)、『黄金世代』(スキージャーナル)、『僕らがサッカーボーイズだった頃』シリーズ(カンゼン)ほか。

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