A代表最年少出場の市川大祐が語るW杯の経験

17歳の自分を呼んだ岡田監督の決断力に感服

市川 大祐(いちかわ・だいすけ)/サッカー指導者。1980年静岡県生まれ。ジュニアユース時代から清水エスパルスで活躍し、17歳322日の日本代表最年少出場記録も持つ。2010年まで清水エスパルスで在籍し、ヴァンフォーレ甲府、水戸ホーリーホック、藤枝MYFC、FC今治、ヴァンラーレ八戸を経て2016年10月に現役引退。2017年2月に清水エスパルス普及部スタッフに就任(筆者撮影)

その岡田監督にはカズとともに登録メンバーから外されたわけだが、市川はその事実を一切知らなかったと話す。

「スイス・ニヨンのホテルで、岡田監督から部屋に電話がかかってきて、監督室に呼ばれて、今回のメンバーに入らないってことを伝えられ、残るのか帰るのかは自分で判断していいと言われました。

自分はすぐに残ることを選択した。カズさんたちのことは全然知らなかったですね。

周りも動揺はあったのかもしれないけど、僕はもう自分のことだけで精いっぱい。何も考えられなかったです。

その岡田さんがワールドカップの重圧を感じている姿を目の当たりにしたことがありました。アルゼンチン戦の直前、他の選手たちがウォーミングアップに行っている時にスタッフ扱いの僕はロッカールームに行ったんです。そこで監督は1人でじっと座って考えを巡らせていた。とても声をかけられる雰囲気じゃなかったです。

その姿を見て、勝負のすべてを1人で抱え込んでいる孤独感というか、重みというか……、言葉で言い表せないものを感じました」とカズを外してまで勝利を追求しようとした恩師の真意を彼は代弁した。

日韓大会までの4年間は紆余曲折の連続

こうして市川は大人のフットボーラーへと進化を遂げたわけだが、2002年までの4年間は紆余曲折の連続だった。フィリップ・トルシエ監督には当初から目をかけられたが、1999年3月にオーバートレーニング症候群という当時珍しい状態に陥り、4月のワールドユース(ナイジェリア開催)に出場できなかった。

この影響もあって2000年シドニー五輪の舞台にも立てず、フランス人指揮官には「市川は電車に乗り遅れた」と皮肉交じりに言われたこともあった。2002年日韓大会のメンバー入りも暗雲立ち込める状況だったが、2001年になって復調。J1アシストランキングトップに躍り出ると代表に再招集される。

そこから一気に23人の最終メンバー入りを勝ち取り、夢だったワールドカップの大舞台をつかんだ。4年前はベンチに座っていながら入れなかったタッチラインの中に入る権利をついに得たのである。

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