スポーツ界のパワハラを「承認欲求」で読む 競技者だけでなく「指導者」にも光を当てよう
アマチュアスポーツの世界において、指導者はごく一部の例外を除き、いわゆる「縁の下の力持ち」であり、自らの存在感を示す機会は乏しい。また、そうあるべきだと信じられている。
指導者のなかには現役時代、選手として活躍して周囲から注目され、さらにマスコミなどを通して世間から脚光を浴びた人も少なくない。ところが現役を退いて指導者の地位に就くと、一転して黒子に徹しなければならなくなる。そこに無理はないだろうか?
人間には、他人から認められたい、それによって自分の存在価値を認めたいという「承認欲求」がある。承認欲求は、自分の能力や個性を発揮して認められるというまっとうな形で満たされることが望ましいが、それが叶わないときには屈折した形であらわれることが多い。
パワハラを生みやすいアマスポーツ界の現状
特に日本のアマチュアスポーツ界には、指導者の承認欲求が屈折してあらわれる条件がそろっている。
第1に、しばしば指摘されるとおり、組織のなかには外からの目が届きにくく、選手の入れ替わりも少ない。閉鎖的でメンバーが固定している組織ほど、誤った慣行が温存され、封建的な上下関係が生まれやすい。
第2に、少なくとも関係者の間には、少々の体罰などは必要だという意見や、暴言、圧力なども容認する風土が残っている。
そして第3に、指導者が外部から評価され、認められる機会が少ないことである。
そのため指導者は、日々の練習・試合を通して選手から感謝や尊敬をされ、それによって承認欲求を満たすしかない。それが十分に得られない場合は、力ずくでも服従させて自分の存在感を示そうとする。
さらに、いわゆる「ストックホルム症候群」に似たような現象が見られる場合もある。「ストックホルム症候群」とは、ある種の強制的な支配-服従関係のもとで、服従する側が生き残るため支配者に対し積極的に服従してしまう現象である。
いずれにしても、これらは正常な姿ではない。
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