30歳、年収450万で親のスネかじる彼の現実 一度味わった生活水準を下げられない

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高校は男子校の進学校に進み、吹奏楽部に入部。32万円もするクラリネットを親に買ってもらった。部が楽器を貸してくれる制度もあったが、ほかの部員も親に楽器を買ってもらっていたため「高い楽器を使わないと良い演奏ができない、ほかの部員に迷惑をかけてしまう」という思い込みから購入を決めた。買ってもらったからにはきちんと練習をせねばと部活に励んだ。

「高校は少しやんちゃな人もいる学校だったのですが、僕は暴力や非行は苦手なのでそっちには流れませんでした。でも一度、駅の前にあった自転車を軽く借りるノリで通学していたところ、私服警官に呼び止められ、1週間の停学処分を受けたことはありました。生活指導の先生が家に来て反省文を書かされました。後で聞いたところ、この自転車盗難事件で母は泣いていたらしいです。でも僕は、親よりも部活のみんなに申し訳ない気持ちでいっぱいでした」

英語が得意だったため、入試で英語の配点が多い大学を選んで計画的に受験勉強。無事、関西にある国公立の外国語大学に進学した。また、2001年に起こった9.11同時多発テロ事件の際、偶然父親が貿易センタービルの付近にいたことからイスラムに興味が湧き、中東系の言語を専攻した。

大学時代は一人暮らしで、家賃は月5万5000円。家賃とは別に生活費として5万円の仕送りを親からもらっていた。

「ラーメン屋や食堂でアルバイトも始めたのですが、職場の人間関係が嫌になったり、朝どうしても起きられなかったりして続かなくて……。今は高卒の人への偏見はないのですが、当時は店長に怒られると『大して頭も良くないくせにねたみで怒りやがって』と思ってしまうこともありました。

そのあたりからバイトに嫌気がさし始めました。時給800円だったので、自分の1時間を800円で売っているという感覚に抵抗が出てしまって。そして、自分はアルバイト自体が向いていない、大学生のうちにやれることをやっておこうと決め、親からの仕送りも増やしてもらい、奨学金も増やしました。大学での生活は自分への投資だと考えようとしたんです。

サークルや遊びでお金を使っていたので、足りなくなるたびに親に『3万円振り込んで』と言うと振り込んでくれる。当時から親も経済的に余裕があったわけではないはずなのですが、都合よく解釈し、『大学卒業して働いたらお金が貯まるはずだから、そのとき返せばいいや』と思っていました」

新聞記者になってすぐはお金が貯まる一方だった

トモヒロさんは大学4年のとき海外に10カ月留学。留年もしたため、大学には6年通った。就活を始めたのは2011年。リーマンショックから少し時間が経過していたのと、マスコミ系をメインに就活をしていたため、そこまで景気の悪さを感じることはなかったが、希望していた出版社にはなかなか受からなかった。

「大学に入ってから先輩に『本を読め』と言われるようになり、読んでみたらとても良い本ばかりで、純粋に本が好きになりました。また、留学をしていたときは日本語に飢えていたのもあり、余計日本語の本がおもしろく感じました。今なら、具体的にどんなメディアを作りたいかを伝えないと出版社に受からないことはわかるのですが、当時は本を作りたいという漠然としたあこがれを抱いて面接に臨んでいました」

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