ウェルズ以前に「時間旅行」がなかったワケ 1895年、「タイムマシン」の概念が生まれた
今は当たり前だけれどもかつては存在しなかったもの路線でいくと、「同時性」の概念もおもしろい。我々は日常的にロンドンでは東京から時差-8時間、日本標準時と協定世界時の時差は9時間などある程度世界の時間を意識しているが、かつて時間はすべて地域固有のものだった。そもそも移動手段もなければ通信手段もないのであれば、場所による時刻の違いなんて考える意味がないのだから当たり前のことだ。それが鉄道が生まれ、長距離通信も行われるようになり、この世界には時間管理局が生まれ、地域間で時刻の統一が図られるようになった。
時刻を統一するといってもそもそも各地で暦が違うので統一しないといけないわけだが、これもなかなか難しい。第一次世界大戦後に発足した国際連盟はカレンダーの統一を掲げ、グレゴリオ暦を採用しようとしたが、たとえばロシアやブルガリアはそれを採用すると何もしてないのに一気に13日も国民が歳をとってしまうので異議を申し立てた。たしかに、意義は大きいだろうが、ろくに関係のない暦に合わせるために13日も歳をとらされたら虚しいよね。
おわりに
と、ざっと紹介してみたがこれでも本書の膨大なエピソードの中の3%ほどではないだろうか。
他にも、時間についてボルヘスは「川」だと表現し、プラトンは「永遠の揺れ動く写像である」といったなど、哲学者や文学者、物理学者がそれぞれどのように時間を表現していたのかも個人的にはぐっときたポイントだし、『タイムマシン』が刊行された時、多くの人がこんなことは科学的にありえないと批判した話とか(そもそもフィクションだが)、親殺しのパラドックス、パラレルワールド、時空の柔軟性の話など、フィクションや哲学上で扱われるタイムトラベルにまつわるアイディア、矛盾など、どこを取り上げてもおもしろい話題ばかりである。
タイムトラベルのみならず、「時間」そのものに興味がある人すべてにおすすめしたい一冊だ。
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