ウェルズ以前に「時間旅行」がなかったワケ 1895年、「タイムマシン」の概念が生まれた
時間という中心軸があるとはいえ、時間が関与する領域はあまりに広く、さっきまで長々と物理についての時間の話をしていたと思ったら今度は何冊ものタイム・トラベル小説の紹介をはじめて──と雑多な印象も与える本だが、むしろそれこそがおもしろい、それこそが時間というとらえどころのないものだろうという感慨も沸き起こる全部載せの本である。
なぜウェルズ以前にはタイムマシンがなかったのか
そうはいっても著者に意義を唱えたくなる人もいるかもしれない。たとえば、H.G.ウェルズが『タイムマシン』を書くまでそんな概念がなかったといっても、日本には龍宮城へいってかえってきたら身近な人が誰も残っていないほど年月が経過していた浦島太郎だっているし。ヒンズー教の聖典である『マハーバーラタ』にも、天界に行って地上に戻ると長い時間が経って知人がみな死んでいたという話があるらしい。いくつも同様の作品自体はあって、「タイムトラベルらしきこと」は過去からあったわけだが、それ自体には著者もちゃんと言及している。
ここで厳密に「それ以前になかった」と言っているのは、偶然長い時が経って未来に行ってしまったという偶発的未来行のことではなく純然たる旅としてのタイムトラベルの概念なのだろう。実際問題、英語の文献に最初に”Time Travel”という単語が出てきたのは1914年のことで、その歴史はまだ100年ちょっとしか経っていない。というわけで少なくともかつての人間は偶然そうなる以外には能動的に、「未来/過去にいったらどうなるんだろう」とは考えなかったようなのだが、それはなぜなのかというのが本書で行われる第一の問いである。
もちろんそこには幾つもの答えが絡み合っている。まず第一に重要なのは、過去の人達はあまり未来というものに興味がなく、時間への認識自体があやふやだった。19世紀から20世紀、20世紀から21世紀に移り変わる時、人々は大騒ぎをしたが(前者は体験してないが)、西暦1800年頃の人々は翌年から世紀が変わることに特に注目せず、そもそも100年という区切り自体にあまり意味を見出していなかった。「世紀が変わる」という表現自体、19世紀から20世紀に変わる時にはじめて使われたのだ。そもそも、今のように技術の進展が大きくない時代では、100年経とうが200年経とうが世界が大きく変わるという発想があまり湧いてこなかったのだろう。
『トマス・モアが『ユートピア』を出版した1516年当時、未来に関心を持つ人はほとんどいなかった。未来の世界が現在と大きく違うものになるという発想がなかった。』というように。ところが、人間はある時、時が経つことでその先には何か新しいものが生まれている可能性に気づいたのだ。そのきっかけとなったのが、グーテンベルクの印刷所であると著者はいう。これによって文化が保存されるようになり、産業革命が起き、『社会が誰の目にもはっきりわかるほど、急速に変化するようになった。』急速な変化が起きると過去を懐かしむ人も増え、未来と過去の概念がはっきりとわかれていく。ウェルズが『タイムマシン』を書いたのは、ウェルズの才能ももちろんあれど、時代の要請といった側面も大きかったのだろう。
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