好調「ノース・フェイス」を支える富山の技術 ゴールドウイン・西田社長に聞く強さの秘密
とはいえ、他社の商品と並べて置かれた状態では、プロモーションが足りない当社の商品はなかなか注目されない。
そのため、アスレチック店舗の新業態として、2016年から「ニュートラルワークス」を展開している。アウトドアブランドのザ・ノース・フェイス、ヘリーハンセンのほか、エレッセなどアスレチックブランド、ランニング、ヨガ、ジム、ライフスタイルをキーワードに選んだ各ブランドの商品を並べ、デザインや機能性の高さを売りにお客様に提案する場となっている。
――昨年開設した研究開発施設「テック・ラボ」では、開発力の強化だけでなく、各ブランドの垣根を越えて、営業、企画、開発セクションの交流も活発になっているそうですね。
創業者である私の父が「テック・ラボ」が建つこの敷地を購入したのが1962年。2年後に控えた東京五輪に向けて、会社のさらなる飛躍を考えての決断だった。1万平方メートルもの敷地を購入し工場建設に着手したわけだが、当時は「なぜそんなに大きな風呂敷を広げるのか」と反対意見もあったと聞く。
東京五輪はPRに絶好の機会だ
それが今や富山県の製造拠点は、性能や品質の高さで定評があるザ・ノース・フェイスなど機能性ウエアの開発力の源であり、長く愛用していただくための修理工場として機能し、会社の肝、強みとなっている。今から日本で製造拠点を作ろうとしても無理がある。私は今、富山県繊維協会の会長を務め、地元との関係を築いているが、そのようなつながりも一朝一夕にはできない。先代が亡くなった後、残してくれた遺産の大きさに今更ながら気づいた。
東京五輪の前年、1963年には会社の成長と、選手たちに金メダルを取ってほしいという願いを込めて”黄金の勝利”を意味するゴールドウインに社名を改めた。
「東洋の魔女」を主体メンバーとした日本の女子バレーボールチームなど金メダリストの8割がゴールドウインのユニホームを着用した。1951年の創業から富山県のメリヤス(ニットの種類の1つ)雑貨の製造会社としてものづくりにこだわってきた当社が、スポーツウエアの機能の追求に専念するきっかけが前回の東京五輪だった。
2020年の東京五輪は、自社ブランドのゴールドウインで海外を開拓していく転機になると考えている。これまで、40近くの海外ブランドの日本での商品企画、販売をやってきた。ただ、海外展開はもちろん、自社ブランドでやるしかない。海外での認知度を高め、「ゴールドウインここにあり」と世界の人々に知ってもらうのが最大の目標だ。
東京五輪では、海外からのお客様が日本に大勢押し寄せてくる。大きな投資をして、新国立競技場など多くのスポーツ施設が集まる東京・外苑前に、新業態「ニュートラルワークス」を構えているのは、そこが世界に向けてのPR拠点になると考えてのことだ。東京五輪の後、オリジナルブランドでの海外展開を一気に加速させる。
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