本人は自覚がない「アルコール依存症」の恐怖 「否認の病」の実態とは?

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「全日本断酒連盟」常任理事の松本和頼さんも、かつてはアルコール依存症だった(写真:「リディラバジャーナル」編集部)
「アル中」の呼び名とともに、誤ったイメージが社会に広まっているアルコール依存症。徐々に進行していく病であり、症状が重くなるまでなかなか周囲の人間が認識しにくいという特徴があります。
今回は、そんなアルコール依存症からの回復者のエピソードを通じて、本人も気づきにくい病の実態について見ていきます。

孤独を癒し、慰めるために増えていった飲酒量

飲酒による問題に悩む当事者や家族の回復を支援する団体「全日本断酒連盟」(東京都千代田区)。

常任理事の松本和頼さんも、かつてはアルコール依存症でした。

49歳で酒をやめ、以後16年間口にしていないという松本さんですが、酒にまつわる様々なトラブルを起こしても「アルコール依存症ではないと思っていた」と当時を振り返ります。

※ ※ ※

飲酒を始めたのは、大学生になってからです。お金がないから外で飲むことはあまりなく、何人か友人で集まって部屋で飲むという感じでした。初めて飲んだときに、適量もわからず勧められるがままに飲んで倒れたということがあったのですが、それ以外で大きなトラブルはなかったと記憶しています。

当記事は「リディラバジャーナル」からの転載です(元記事はこちら)。同サイトは有料会員制メディアです。なぜリディラバが、課金型メディアに挑戦するのか。どのようなメディアを読者と作り上げていこうと考えているのか。リディラバの考え方はこちらを御覧ください。

過度の飲酒をするようになったのは、22歳で就職し上京してからです。

私は大学まで北海道で育ったのですが、環境の変化に慣れなかったと言いますか……。

学生時代に仲の良かった連中ともバラバラになり、友人が近場にいなかったんです。会社に馴染むのにも時間がかかりました。当時、勤めていた製造メーカーの寮に住んでいましたが、気の合う人もそうおらず、寮の中でも本当に限られた数人との付き合いしかありませんでした。

そんな中で、非常に孤独を感じました。その孤独を癒し、慰めるためですね、スナックやパブで飲む機会が多くなっていきました。お店の人と話すことに安らぎを覚えていたんです。

平日はほぼ毎日、仕事が終わってから店に飲みに行っていました。寮でも飲まないわけではないですけれど、ひとりで飲んでも寂しいじゃないですか。かと言って、職場の同僚と飲んでも何かピンとこない。結局寂しいからお店で飲んでしまうわけです。

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