過重労働に心を殺されないスキルは「表現」だ 30日連勤200時間残業…僕はペンを執った

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表現とは大ざっぱに言えば、見えないものを見えるようにする思考のプロセスを意味する。ユーザーとしてのみ表現に接していると「ふーん、それで?」と言いたくなるような理屈だが、当事者として挑戦するとたちまちその意味が変わる。表現をすることで見えないものが見えるということは、要するにそれまで見落としていた、見つけられなかった、どうしても見えなかったものたちに触れられる可能性が浮かび上がるのである。

不可視の存在たちは示唆に富む。私が気づいていなかった社会の仕組み、私が無視していた周囲の人間たちの気持ち、私が忘れていた、でもしっかりと私を包んでいたきれいな光景やすてきな言葉を不可視の存在たちは持っている。それらを発見することで、ワークは必ず見つかるようになる。すぐに見つからないとしても、表現を繰り返すことで、あるいは表現を継続する行為自体が、ワークを身近なものとして具体化させていくはずである。

川崎氏が描く漫画はシンプルな線画が特徴だ(川崎氏提供)

付け加えると、この場合、表現の質そのものは、どれだけ稚拙であっても構わない。もちろん、そうした要素を、表現を媒介としてより多くの他者に伝えたいと願うのであれば、技量は大切だ。

しかし、『労働者のための漫画の描き方教室』の主目的は漫画家を育てることでもなければ、表現者を生み出すことにもない(私は本書中、読者に「表現者になれ」とは一言も述べていない)。労働者がそれぞれに適したワークを発見し、かつジョブと区分しながら、ワークそのものを人生の主体にできるようになるためのアイデアを語っているだけである。

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