銀座が「カフェの聖地」として別格である理由 「名店」も「女給」人気も、ここから始まった

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文中で引用した、岸田劉生(「麗子像」で有名な洋画家)がどう書いたかを簡単に紹介すると、「(タイガーには)文士・画家・役者・能役者など、さまざまな芸術家が頻繁に出入りし、某先生は大枚五両のチップをはずむと聞いたが、いかがなものか」と記した。

浜田氏は「この某先生とは前年の秋から足しげく通って、たびたび新聞だねになった永井荷風らしい」と記し、荷風の日記『断腸亭日乗』で裏取りもした。なお五両とは、劉生特有の言い回しで、当時の5円のようだ。

女給に執心したのは荷風だけでなく、菊池寛(作家で文藝春秋創業者)もそうだった。

「赤組のお君という女給をひいきにして、昭和4年の人気投票の時に150票を投じて、見事タイガーの人気ナンバーワンにした」(浜田氏の同著)。

投票権はビール1瓶で60銭だったので、菊池は90円を投じたことになる。ここからは筆者の計算だが、昭和4年の90円を、当時の外食代の相場を参考に1500倍で換算すると、現在の金額で「13万5000円」になる。女給を「赤」「紫」「青」組に分けて売り上げを競わせた発想は、現在のAKB48などのプロモーション活動に通じるのが興味深い。

復活して48年になる「パウリスタ」

1911年に開業した3店のうち、最も正統派の道を歩んだのが「カフェーパウリスタ」だ。1686年に創業した、フランスのパリ最古の店「ル・クロコップ」を見習い、当時は男性給仕(ボーイと呼ばれて詰め襟姿)のみの接客を貫いた。

銀座8丁目に移った現在の「カフェーパウリスタ」(筆者撮影)

コーヒー1杯5銭、ドーナッツも5銭と安く、最盛期は1日でコーヒー3000杯も(4000杯とも)出たが、これには理由がある。コーヒー豆を無料で仕入れることができたのだ。

この店は、ブラジル移民の歴史と密接に関わっている。創業者は水野龍。1908年に最初のブラジル移民を運ぶために出航した「笠戸丸」の渡航を手がけ、同船に乗ってブラジルに渡った人物だ。移民送り出しの功績により、水野はブラジル政府からコーヒー豆を「毎年1000俵・10年間無償」(毎年70トン・12年とも)で提供されることとなり、大隈重信らの支援を受けて店を開業した。

ちなみに、NHKの連続テレビ小説「花子とアン」に登場したカフェのモデル店だ。

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