銀座が「カフェの聖地」として別格である理由 「名店」も「女給」人気も、ここから始まった

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もちろん、これ以外にも銀座には多くの名店がある。今回は「ヒト」を中心に紹介したので、「なぜあの店が入っていないのか」と思う人がいるかもしれない。

日本のカフェ業界は、特定の人物が牽引したのではなく、各時代や日本各地の店主の創意工夫によって発展した一面もある。最後に、そうした奇縁をお知らせしよう。

銀座ではないが、日本橋(三越前)に本店があるのが「ミカド珈琲」だ。創業者は金坂景助氏(1910年生まれ。故人)で、同店名物「モカソフト」や「コーヒーゼリー」の生みの親でもある。少年時代から銀座の食品輸入業「亀屋鶴五郎商店」に勤務しており、戦後まもなく独立開業した。同氏が昭和30年頃に始めたスタンドコーヒー(立ち飲みコーヒー)が、セルフカフェの元祖といえる。

実は、前述のパウリスタが、ブラジル政府からコーヒー豆の無償提供を受けた時代、自社だけではさばききれず、その半数の豆の販売を引き受けたのが「亀屋」だった。

「今回は、すげえ男が一緒だった」

さらに時代を経た1971年、コーヒー業界の欧州視察で鳥羽氏と一緒だったのが、この金坂氏である。帰国した金坂氏は、娘の鳴島佳津子氏(現・社長)らにこう語ったという。

「いや~、今回はすげえ男が一緒だったよ。とにかくひっきりなしに動き回っていて、ホテルに戻っても、またすぐどこかに行ってしまうんだ」

それが、朝食もとらずに現地視察に駆け回った鳥羽氏のことだった。行動的でアイデア豊富な経営者だった金坂氏(当時60歳)は、親子ほど年の離れた鳥羽氏(同34歳)の行動に、かつての自分を重ね合わせたのかもしれない。鳥羽氏が、金坂氏が創ったセルフカフェの進化系「ドトールコーヒーショップ」(1号店は原宿)を開業したのは、この9年後だ。

こう紹介してきたが、いまや銀座が唯一の聖地でもない。渋谷や新宿にも人気店はあり、「ブルーボトル」の1号店は「清澄白河」だった。それでも「スターバックス」1号店(1996年)が、松屋銀座店の裏からスタートしたように、銀座は別格の存在なのだ。

高井 尚之 経済ジャーナリスト、経営コンサルタント

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たかい なおゆき / Naoyuki Takai

学生時代から在京スポーツ紙に連載を始める。卒業後、日本実業出版社の編集者、花王情報作成部・企画ライターを経て2004年から現職。「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画・執筆・講演多数。近著に『なぜ、人はスガキヤに行くとホッとするのか?』(プレジデント社)がある。

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