おごるなヤマト、小倉昌男が嘆いている なぜ名経営者はあのときリストラをしたのか

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1987年4月に小倉氏に取材したときのことだ。取材の主旨と離れ、同氏が経営者(その企業の事業内容と不可分な関係として)の世代論を、語り始めた。当初の取材目的はすでに達していたので、雑談風に語る世代論を一生懸命に聞いた。その世代論自体が興味深い内容なので、取材の目的とは違ったが、真剣にメモを取った覚えがある。

小倉氏としては、第一世代は自分以前の経営者で、自分自身の宅急便システムの創造は第二世代に位置付けられ、後に続く第三世代はそれを超える多様な事業を展開していく、といった話だった。同氏がなぜ唐突に世代論を語ったのか。世代論自体の内容もさることながら、もう1つ、「当社も社長交代をするよ」というメッセージが含まれていたのではなかったか、という思いが拭い切れない。

というのは、その約1カ月後、都築氏の三代目社長就任が発表されたからだ。取材時、小倉氏はそれをさり気なく示唆していたのかもしれないが、即座に食いついていくだけの力量があったなら、相応の”お土産”を持たせてもらえたのに……と残念な思いが今でも残る。

その後、小倉氏は、1991年に会長から相談役へと退いた。しかし、2年後の1993年には、再び会長職に復帰。1期2年勤めてから、1995年にヤマト福祉財団の理事長を除く、グループの一切の役職から離れたのである。役職を離れるに際して小倉氏が語ったのは、実は「自分自身のリストラ」についてだった。

実は自分自身が”最大のムダ”だった

いったんは相談役に退きながら会長に復帰した理由について、小倉氏は「ヤマトは大企業病にかかっており、このまま行ったら人件費の増加で経営がいずれ行き詰まると感じたから」と説明した。簡単に言えば、会社の組織上、中間が膨らみ過ぎたということになる。

物流業は現場の第一線を充実させ、できるだけ中間をなくさなければいけない。とはいえ、組織改革を実際に行うには、目に見えない強力な抵抗がある。もちろん社長でも時間をかければできると小倉氏は言った。とはいうものの、あまり時間をかけてはいられない。時間をかければ手遅れになり、人件費で経営が成り立たなくなってしまうという危機感を、小倉氏は持っていたのである。

では、その改革を誰がやるのかと社内を見渡したとき、どんなに強い見えざる抵抗があっても強引に短期間で実行できるだけの腕力があるのは、自分しかいない。一度退いた者が復帰するのはみっともないが、あえて会長に戻ったのだ、と打ち明けてくれた。実際に1期2年で改革を成し遂げることができ、次に改革すべき課題は何かと社内を見渡したところ、高い給料をもらっていながら一番仕事をしていない自分自身が会社にとって”最大のムダ”と気づいたから、というのが退任に当たっての説明だった。

まさに、自分を律する小倉氏らしい表現だな、と思いつつ聞いていた。業界団体や同業他社にはそのような人がたくさんいるよ、という皮肉を込めたメッセージでもあろうと受け止めた。

小倉氏の残した見えざる功績。それは間違いなく、1974年の大規模人員削減と、1995年の自身の全役職退任だろう。

歴史に「if」はない。だが、もしも小倉氏が生きていたら、不祥事に揺れる今日のヤマトをどう改革したであろうか。

森田 富士夫 物流ジャーナリスト

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もりた・ふじお / Fujio Morita

1949年生まれ。物流業界を専門に長年取材・執筆を行う。主な著書に『トラック運送企業の働き方改革〜人材と原資確保へのヒント〜』(白桃書房)。

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