「お茶」と世界の歴史の意外にも深すぎる関係 アヘン戦争やアメリカ独立戦争の裏側にも

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チャは、アメリカの独立にも一役買ったと言われている。

イギリスは覇権をかけて北米植民地戦争をフランスとの間で繰り広げていた。この戦争で莫大な出費を余儀なくされたイギリスは、植民地からの税金でそれを埋め合わせようとする。

その1つが、イギリスからアメリカへ輸出されていたチャであった。

アメリカ大陸はもともとオランダの植民地であったため、オランダの影響を受けて上流階級の人々は紅茶を飲んでいた。その後、アメリカはイギリスの植民地となったが、紅茶を飲む習慣はそのまま引き継がれた。イギリスから重税をかけられたアメリカの人々は、税金を逃れるために、オランダからチャを密輸していた。そこでイギリスは「茶条例」を作り、密輸茶を厳しく取り締まった。1773年のことである。

アメリカ人は、この強圧的なイギリスの制度に反対し、1773年の12月、イギリスからアメリカにチャを運んできた船を襲い、船に積まれていたチャの箱をすべてボストン港に投棄した。これが「ボストン茶会事件」と呼ばれるものだ。大量のチャが投げ捨てられて、海の水はチャ色に染まったほどだという。そのため、この出来事は「茶会(ティーパーティ)」と呼ばれている。

これに対してイギリスは、強圧的に1774年にボストン湾を閉鎖。アメリカの人々は反感を増して、翌1775年には独立戦争が起こる。

このイギリスへの反感から、アメリカの人々は紅茶の代わりにコーヒーを飲むようになる。これが、紅茶の味に似せて、浅く焙煎したアメリカンコーヒーである。ちなみに、日本でアメリカンコーヒーというと薄いコーヒーを意味することが多いが、実際には焙煎が浅いコーヒーである。

現在でもアメリカはコーヒーの消費量が世界一である。スターバックスに代表されるように、アメリカにコーヒー文化が花開いたのは、この独立戦争がきっかけなのである。

しかし、独立戦争の中心となったのは、チャを飲んでいた裕福なアメリカ北部の人々であった。一方、アメリカの南部では、産業革命で発達したイギリスの綿織物業のために綿花を輸出し、外貨を稼いでいた。つまり、イギリスなしでは成り立たない経済構造になっていた。イギリスからの経済的な自立を目指す北部と、綿花栽培のためにイギリスとの絆を強めたい南部は、対立を深めていく。

そして1861年、ついにアメリカで南北戦争が引き起こされる。

イギリスからの紅茶の入手が困難になったアメリカでは、暖かい南部地域を中心にチャの自国生産の試みが行われる。しかし、南北戦争によってアメリカのチャ栽培は、道半ばで壊滅してしまった。

そして、アヘン戦争が起こった

イギリスでは紅茶が普及し、庶民も盛んに飲むようになったが、イギリスにとってチャは東洋から運ばれてくる神秘の飲み物であることに変わりはなかった。チャがイギリス人の暮らしや産業にとって不可欠なものとなったため、需要が増大しても、チャは中国から運んでくるしかなかった。

人々が紅茶を愛し、紅茶を飲めば飲むほど、大量のチャを清国(中国)から購入しなければならない。そして、チャを購入することで大量の銀が流出していくが、清国側がイギリスから買うべきものはない。イギリスの貿易赤字は拡大する一方であった。

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