サザンが「40周年」まで成功し続けたワケ

なぜ本格的な低迷に陥ることもなかったのか

2008年8月24日の30周年ライブの風景(Photo by Sports Nippon/Getty Images)

今回取り上げるのはサザンオールスターズである。

先月の6月25日にデビュー40周年を迎え、2日間にわたるNHKホールでのコンサートも大成功、また新曲『闘う戦士(もの)たちへ愛を込めて』も好調、さらに8月にはアルバム『海のOh, Yeah!!』の発売が決定、来春には全国ドーム&アリーナツアーも開催と、怒涛の勢いで活動を再開した。

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驚くべきことは、この40年間、サザンオールスターズに本格的な低迷期がなかったことだ。

言わば「日本ロック史上最長最強ブランド」としてのサザン。今回は、どのような戦略によって、彼らがその強力なブランド力を培ってきたのかを検証していきたい。

最初に、特に若い方々に対して確認しておきたいことは、そもそも「日本語のロック」「日本人が作り・歌うロック」という市場自体を確立したのが、サザンオールスターズであり、桑田佳祐だったという、歴然たる事実である。

日本語でロックを歌う方法論を完成させたのは誰か

桑田佳祐の登場以前、ロックのビートに乗せて日本語を歌うということは、極めて実験的な行いだった。1960年代後半、人気グループサウンズ(GS)のザ・スパイダースのボーカリスト=堺正章やザ・テンプターズの萩原健一あたりがチャレンジし始め、ジャックスの早川義夫、遠藤賢司、はっぴいえんどの大滝詠一、キャロルの矢沢永吉やジョニー大倉が、それを継承・発展した。

俗に、「日本語ロックの始祖は『はっぴいえんど』だ」とされるのだが、それは、グループサウンズの貢献を無視した、少々乱暴な史観だと思う。しかし、「始祖」については諸説あれど、日本語でロックを歌う方法論を完成させたのは桑田佳祐なのである。ここは疑い得ないだろう。

今や、息を吸って吐くくらい当たり前のこととなっている、日本語の子音や母音を歪めた発音や、日本語に英語を混じえた言葉遣い、意味よりも音やリズムを優先させた歌い方――これらを完成させたのは、はるか40年前、弱冠22歳の青年=桑田佳祐だったのだ。

そんな桑田佳祐流「日本語のロック」が最高水準で極まるのが、95年発売『マンピーのG★SPOT』における「♪芥川龍之介がスライを聴いて“お歌が上手”とほざいたと言う」というフレーズだと考えるのだが。

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