ともあれ、サザンオールスターズの破竹の歴史をたどる上で、最初に確認すべきは、そもそも、サザンが勝ち抜いてきた「日本語のロック」市場を確立した張本人がサザン自身であるという事実であり、つまり40年にわたってサザンが得続けたのは「先行者利益」だったという点だ(このあたりのことについて、さらにご興味がある向きは、拙著『サザンオールスターズ1978-1985』をご一読ください)。
次に着目するのは、サザンオールスターズの、極端とも言える楽曲のバリエーションである。
便宜的にマップを作ってみる。横に「ロックンロール」と「ラブバラード」、縦に「コミックソング」と「メッセージソング」軸を設定し、それぞれに典型的な該当曲を置いてみる(サザンに関する本も出した音楽評論家としては、少々乱暴な図表だと自認するが、今回はご容赦願いたい)。
ここで他の音楽家と比較して特筆すべきは、その四角形の幅広い面積である。つまりは、楽曲バリエーションが図抜けて豊かなのである。
特に縦軸の広がりはどうだろう。日本では、「音楽でメッセージを語るなんてダサい」とする音楽家が、若手においても非常に多いし、また、「ロックはしかめっ面して、難しい顔してやるもんだ」との観念も強いのか、コミックソングに手を出す音楽家はさらにまれだ。
サザンオールスターズのライバルをあえて挙げれば、山下達郎、松任谷由実、矢沢永吉ということになろうが、彼らにおいても縦軸の広がりは殆どない。特にコミックソングは皆無である。
シンプルに言えば、この四角形の幅広い面積の分、サザンオールスターズは、幅広いニーズに応えてきた。自らが確立した「日本語のロック」市場の中で、特に縦軸方向に広がるニーズに関しては、ほぼほぼ独占してきたと言えるだろう。
サザンは総合商社に通じるものがある
1970年代に世界を席巻した「総合商社」。その幅広い業容は「ラーメンから航空機まで」と言われたものの、その幅広い守備範囲は分割され、子会社化や関係会社への移管が進められてきた。しかしサザンオールスターズは現在に至るまで、言わば「ロックの総合商社」として、1970年代の大手総合商社のようなスケールで、幅広い業容を一手に引き受け続けてきたのだ。
このような独自のマーケット戦略に加えて、最後に着目したいのは、イメージ戦略である。それは「成熟」や「完成」を徹底的に拒否するという、これも日本ロック界では極めて独特な戦略スタンスである。
大御所となり還暦を超えた今でも桑田佳祐は、毎週土曜日のラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』(JFN系列)で軽妙(軽薄)なトークを続け、たまには下ネタまで繰り広げる。
また先月のキックオフライブのタイトルは「ちょっとエッチなラララのおじさん」という相変わらず他愛のないもので、そう言えば、昨年末のNHK紅白歌合戦における桑田佳祐の軽妙なコントも記憶に新しいところだ。
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