「子どもにとったら、どちらも親なわけですよ。親同士は他人だけれど。それを『どうする?』って聞かれても、選べるわけがない。だから私は、子どもに選ばせるっていうのは、絶対にダメだよねと思いました」
日本ではよく、こういった声が聞かれます。子どもに選ばせるのは酷だから、意見を聞くべきでない。でも本当にそうでしょうか。逆に、「聞かれなかったら、もっと嫌だった」という子どもの声も聞くことがあります。
子どもの意志だって尊重される必要があるのでは? 私がそう尋ねると、葵さんはしばらく考え込んでしまいました。
「そうですよね……、どうすればよかったのかな。私も『相手は子どもだから、何もわからないだろう』と大人に勝手に決めつけられるのは嫌だったんです。だから、聞くのはいいのかもしれない。ただし、そこでちゃんと説明をしてほしかったですよね」
もし本人に選ばせるのであれば、その後に生じる出来事が本人の選択のせいではないと、周囲の誰かがきちんと説明すること。あるいはもし、子どもには選ばせないのであれば、なぜ大人たちがそのような結論に至ったかをきちんと説明すること。それが必要だったのかもしれません。
子どもに説明もせずに選択をさせ、自分の涙を見せる、という父親のやり方が無神経なように感じます。
なお母親は「最初から自分が2人を引き取ることになっていた」と話しているそうですが、父親は納得しきれていなかったのかもしれません。父親はそれから恋人と再婚しましたが、その後また離婚して、ひとりになったということです。
親になりようやく母親を客観視できた
葵さんが妹から虐待の話を聞いたのは、実父に会いたいと思って妹に相談しようとしたのがきっかけでした。
そもそも、なぜ父親に会いたいと思ったのか? 葵さんは10数年前に自分の子どもが生まれ、それから子育てをつらく感じるようになっていました。
「自分が嫌だったことは子どもにしない、と決めていましたが、『私がこんなにやってるのに、なんで泣くの?』と思って、子どもにキレてしまう。それで、カウンセリングを受けたり勉強したりして、自分の幼少期を振り返るようになったんです。そのときに、実父との関係が消化されていないことに気づいて、会ってみようかなと。
自分も結婚して親になって、夫婦関係って交通事故と同じで、どちらかだけが悪い『100:0』ってことはないよね、と気づいたのもあります。母を1人の人間として、客観視できるようになった。私は母のフィルターを通した話しか聞いていないわけです。当然母は、父のいいことは言わないじゃないですか。もちろん母にとっての現実はそうなんですが、父はそのときどう思っていたのかとか、なぜ女の人ができたのかとか、直接聞いてみたいと思ったんです」
しかし、そこで相談しようとした妹から予想もしない話を聞いて衝撃を受け、結局、父親には会いませんでした。「どうしてだったのかな」という思いはあるものの、いまは「会いたい」とは思っていないそう。
「これまで私は、カウンセリングやアサーティブを学んだり、本を読んだり、いろんなセミナーに行ったりして、『子どもが子どもらしくいられるために、私に何ができるのか』ということを考え続けてきました。
そもそも子どもって親がいなかったら生きていけない。だから親に嫌われないように、頑張るわけですよ。それを親がいかに自覚しているか、していないか。そこがいちばんの問題なんですよね」
自分を、親を、子どもを、客観視するということ。難しいことですが、葵さんはいまも手探りしつつ、前に進み続けています。
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